空の鳥

主に飼い猫+野鳥を撮って、紹介しています。

3度目の変更

台風が来るので、飛行機をまたまた変更。今回はフェリーでとんぼ返りするはずだったので、フェリーも変更。欠航だったら全額払い戻されるのだが、延々港で待って、払い戻しの列に並ぶのもうんざりするので、10%キャンセル料も払う。帰りに行く予定だった裏磐梯の「花きりん」もキャンセル。ところが宿の主人は事情を聞いて気の毒がって、次回来た時使えるように葉書を送ると言ってくれた。なんという心配りだろう。ぜひ次の機会に行きたい。

最近のくるみ
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「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」(マタイ7:12)

これは、自分にして欲しくない事は他の人にもしないように、と置き換えることもできるかな。私は食事中に食欲を無くす話題になるのが苦手だ。

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー

ソローは1845年から2年2ヶ月2日の間、マサチューセッツ州コンコードのウォールデン池のほとりに自分で建てた小屋で隠とん生活を送りながら読書をし、散歩をし、四季折々の自然を楽しんだ。のちに「ウォールデン  森の生活」を発表して超有名になり、ミニマリストの創始者、ロハスの提唱者、スローライフの先駆けとして有名になった。ソローは当時奴隷制度だった合衆国政府に反対して人頭税を払わなくて投獄された。この本はガンジーキング牧師など多くの思想家に影響を与え、最も引用される本と言われるようになった。(暗殺された時、ガンジーはこの本を持っていたそうだ)

小屋を建てるにあたり「若草物語」の作者オルコットの父や思想家エマーソンにも協力してもらって斧を借りていた。近所に住んでいたのだ。コンコードの街中心部までクルマで6分ぐらい

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ところで、「森の生活にまつわる10の真実」の記事が掲載されていた。

10 Transcendental Facts About 'Walden' | Mental Floss

この中で私のお気に入りは「5.ソローは隠遁者じゃなかった。」である。

家から近かったので、しょっちゅう家族に会いに帰ったり泊ったり、友達が遊びに来たりしていたそうだ。

自給自足やと思ってた…

 

この本に出てくる、池から氷を切り出していた人々は、先年亡くなった絵本作家のターシャ・チューダーの曾祖父の経営していたチューダー氷会社の人々である。冷蔵庫のなかった時代、氷屋ビジネスは真冬に湖から氷を切り出していたのだ。

 

またウォールデン池の所有者はエマーソンで、若草物語に出てくる隣のローレンスお爺さんのモデルとされている。頑固じじいにされていたが、本当はソローに小屋を作る時、斧だけでなく、土地まで貸した親切な人である。

ソローは近所の人の好意に助けられていた。

豊かな思想や良い文学が生まれる背景には、経済的余裕があるように思う。

 

ところで、このウォールデン池はかつて私の通勤途中にあって、同僚のスウェーデン人は暑い日は仕事前に泳いでいた。私は肌の厚さが違うので、そんな冷たい水に入る事はできなかったが、泳げるほど美しい。周囲は保護され自然林が鬱蒼として昔のままだ。紅葉の時最高に綺麗だ。

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「あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。」(マタイ6:8)

必要最低限だけ所有するミニマリストになりたい。

エミリー・ディキンソン

エミリー・ディキンソンという19世紀の詩人の伝記映画の予告編を見た。

彼女はマサチューセッツ州アムハーストに1830年に生まれ、55歳で死ぬまで独身、ほとんど家から出ないで過ごした。生きている間に発表されたのはたった7篇の詩だった。死後膨大な詩が発見され、発表され、有名になった。

 

唯一残されているとされる、彼女の肖像。

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彼女の学んだマウント・ホリヨーク女子大の教授を訪問した事がある。昔ながらの美しい邸宅で大学も古くて素敵な建物だった。オルコットといい、ソローやホーソンといい、19世紀のニューイングランドには文学が生まれる豊かさや時代背景があったのだな。

彼女が生まれて、生涯の大半を過ごして死んだ家は博物館になっている。f:id:dollyosaka:20160818200737j:image

Emily Dickinson Museum

新島襄内村鑑三が彼女の父が務める大学に留学していた頃、そこから1.5キロ離れたこの家に引きこもりの女流詩人がいて、毎日せっせと詩を書いていたのだなぁ。

 

「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1:1)

これは聖書の冒頭。新島襄は幕末に密航し、香港で手にした漢訳聖書の冒頭を読んで、神を信じたそうだ。

エミリーは「サムライがウチの大学におるで。」と父親から聞いていたのだろうか。

なぜ「空の鳥」か?

先週叔母が危篤になった時、教会の牧師が来て下さったが、セデーション治療に入ったところで、何を語りかけても反応が無かった。今際の際にもゴスペル歌手の友人が来てくれたが、反応は無かった。

叔母は私に付き合って数度教会に足を運んでくれた事があり、いつも私のブログをとても熱心に読んでくれていたが、一度だって聖書や神さまの話をした事が無かった。しておけば良かったと後悔している。

ブログのタイトルが「空の鳥」なのは、聖書のここから取っている。

「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。」(マタイによる福音書6:26)

 

 教養もなければ敬虔でもないが、一応「空の鳥」なのだし、その日読んだ聖書の一部をこれから時々紹介したいと思う。

「流れる星は生きている」藤原てい著

戦争体験談は、多くの人が書いている。引揚者のストーリーは壮絶だ。中でも満州から引き挙げてきた人の話はどれも死と隣り合わせだった。

この本はベストセラーになったそうだが、すごくよく書けている。ただ苦労しただけではなく、極致の環境になった際の人間の醜さドロドロさが見事に描写されている。

長春に住む 三人の子供の母親が、歩いて38度線を越える。子供が肺炎になったり、栄養失調になったり、生きて帰れただけでも奇跡である。

びっくりしたのだが著者の夫は、後に作家新田次郎として有名になった。

 

新版 流れる星は生きている (偕成社文庫)

新版 流れる星は生きている (偕成社文庫)

 
 今日読んだ聖書で感じた事

「 あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(第一コリント10:13)

つらい状況に置かれても、絶望せずに生きていくときっと逃れる道を神様がくださるのだな。

見えるものは一時的

叔母は多くの友達に見送られ、丁重に葬られ荼毘に付された。初七日も午後行われたが、疲れた遺族は舟を漕いでいた。重篤になって連日睡眠不足だったのだ。そしておりんの音でハッと目を覚ました。

「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」(第二コリント4:18)

市岡裕子さんが参列。

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大雷雨

教会の主日礼拝に出た後、豊中の千里会館へ。

叔母は昨夜から、ガラス張りの冷蔵庫に安置されて、まるでレーニン廟みたいだった。

 

遺族の手で納棺、副葬品として大事にしていたぬいぐるみが納められた。本当はもっとあったのだが、事情により却下された。

 

夕方雷雨となり、大雨洪水警報が発令された。控え室の冷房は、急に寒くなり、温度を2度上げてもらった。

 

通夜には近所やボランティアの人々のみならず、父の従妹も来た。諸事情により、初対面だったが、彼女の伯母に瓜二つだったので驚いた。無沙汰を互いに詫び、慰め励ましてくれた。会えて嬉しかった。

 

叔母の執刀医も来ていた。思いつめた表情で申し訳なさそうに見えた。彼は昨日霊柩車を見送ってくれたそうだ。叔母は生前彼を「可愛がって」いた。正直に気持ちを話し、「本当に手術して良かったんでしょうか?私が先生のおばあちゃんだったらどうしましたか?」と何度も訊いていた。酷だったろうな。でもひとりの患者の命に敬意を払ってくれた医師の姿に感動した。

 

叔母の親友が、takenokobabaは人の悪口を言わない人だった、と言った。全くその通りで、彼女は私が誰かを少しでも悪く言うと「そんな風に言ったらあかん。」と叱った。

 

誰に何を貰っても喜び、誰彼構わずモノを他人に上げたがった。「とっとき魔」で「あげ魔」だった。

 

 

聖書を読んで感じた事

「受けるよりも 与えるほうが 幸いである 」(使徒の働き20章35節)

貰ったモノを大切にしまい込むと遺族は大変だ。威勢良く他人や家族に与えて身辺をスッキリさせた方がいいだろうな。