印象派で有名な「グランド・ジャット島の日曜日の午後」1886年バッスル・ドレスの女性がいる。
場所を取る上火災を起こしやすいクリノリンの流行は終わり、1870年代からバッスルの時代になった。バッスルというのは、お尻だけ膨らませるドレスだ。中はこうなっている。
日本は明治維新を迎え、西洋化が進んだ。ちょうどバッスルの流行時だったので令嬢も芸者もドレスを誂えた。
鹿鳴館の時代だ。大名の娘も、バッスルドレスをこしらえた。可愛らしい。
こちらは西洋の貴族。
風刺画ビクトリア時代の1860年前後、膨らんだスカートが大流行した。この形にするには鯨ヒゲや針金や枝で出来たクリノリンを入れる必要があった。邪魔で邪魔で仕方なかったらしい。風刺画が残されている。
「すみませんが、クリノリン外して貰えないと馬車に載せられません。」1858年ホンマやったのか写真もある。
「燃えてますよ。」実際19世紀に3000人がこのファッションのせいで焼死したという記録がある。
若草物語でも暖炉でスカートを焦がすシーンがある。
スカートが大きすぎて彼女と一緒に階段の外側を降りる紳士。
着せるため脚立に乗るメイド。
写真も。たいそうやなあ。
スカートに出入りするニワトリに気がつかない女性。
遠すぎて握手も一苦労。
大きなスカートを利用して空飛ぶ女性たち。
スカートが大き過ぎて教会の狭き門から入れない。
給仕も遠いので棒つきのお盆を使う。
風刺画のネタに困らなかったろう。
ローラインガルス「この楽しき日々」で日曜礼拝の時、フープにの中に潜り込んで来た子猫が登ってきたエピソードがある。
南北戦争の時代、とにかくケージやクリノリンと呼ばれたフープ(スカートを押し拡げる丸い枠) が大流行した。貴族から庶民まで猫も杓子も丸い大きな引きずるドレスを着た。凝ったヒダに刺繍やレースを縫い付け、全部手作りだ。
お金持ち風の姉妹。左の人ちょっと顔が頑固そう。
このスカートと袖の葉っぱは自分で縫い付けたのだろうか。
凄い刺繍。クロスステッチか?
彼女の髪飾りが綺麗。
凝った帽子と毛皮のマフ。ミス・チェスニーという人。
ゴージャスだ!ヒダがすごい。
裾をバイヤステープで縫い付けている。面倒な事を。
裾にすごいひだが。格子プリント地だ。
裾と袖とウエストに同じ服地を使っている。おなかの鎖は何だろう?
右のおっちゃんは膝まづいて何やってんの?左の女性は頭ハタこうとしてる?
最後は貴族。豪華だ。彼女の名はレディ・ヘレン・マクドネル
晴天の気持ち良い日。
高田かや著「カルト村で生まれました。」と「さよならカルト村。」を読む。エッセー漫画。暴露本につきもののネガティブな内容でなく、(第一カルト村の名前すら出てこない。) 淡々と子供の頃の経験や心情が淡々と正直に綴られていて、可哀想で、それでユーモアたっぷりで面白い作品だと思った。
彼女は、農業法人の経営する大規模なユートピア(生活共同体)で生まれ、19歳になるまで、そこで教育を受け、働いた。
子供の頃、親から離され全寮制の洗脳教育。義務教育は公立で受けたが、早朝から労働、朝食は抜きだったので野に咲く植物や、お地蔵さんのお供えまで食べていた。世話係の体罰は日常的で、平手打ちや正座や食事抜きなどで支配され、部活や寄り道や友達の家に遊びに行くのも禁止。農場を手伝っていた。両親に会えるのは年に数回だけで、手紙も検閲され、戦後の教科書のように黒く塗りつぶされていたという。
転機が訪れたのはオウム事件。そのあとの脱税事件で報道のヘリコプターが飛び交う。
今彼女は家族とともに脱会して、結婚して幸せに暮らしているようで、ご主人が漫画では時々登場して、慰めたり同情したりしている。その優しさにホッとする。
サウス・カロライナ州ノックス農園。しんどそうな表情の女性達。人身売買はひどい話だ。アメリカのコメディ番組でサムライのモノマネをしている場合でない。奴隷が解放されたのは明治維新の2年前である。
2月はアメリカ合衆国では黒人歴史月間と呼ばれ、黒人教会では写真パネルや朗読会などが行われていた。合衆国の歴史で社会の底を支えて来たという誇りを再認識するのだ。
だが俳優のモーガンフリーマンが「黒人歴史月間をやめよう。」と呼びかけた事があった。彼はセレブで白人より豊かだからそう言えるのかもしれないが、所得の差や偏見によるひどい扱いはまだまだ平等とは言えない。黒人と白人の所得格差はこの20年で3倍になったという。