空の鳥

主に飼い猫+野鳥を撮って、紹介しています。

ミシン

1851年にアイザック・シンガーが特許を取ったミシンは、それまで手縫いだった家庭の主婦に大革命を起こした。

よほど高価だったと見え、記念写真まで撮っている。

 

f:id:dollyosaka:20170308103926j:image1855年。発売してまだ5年だ。小さい!

 

f:id:dollyosaka:20170308104034j:image流行のヘアスタイルからして1850年中頃か。撮影中動けないから表情恐いな。

 

f:id:dollyosaka:20170308104101j:imageハープの横でミシンを踏む人。宮殿にでも行けそうなドレス着てミシンを踏んでいる。ろうそく立ても見える。電気はまだ発明されてないのだ。

 

f:id:dollyosaka:20170308104523j:imageそれにしても、小さいな。

 

f:id:dollyosaka:20170308104527j:image珍しい手回し式。カメラ目線で手元が危ない!

 

f:id:dollyosaka:20170308104541j:imageちょっと恐い。横に誰か立っている。

 

f:id:dollyosaka:20170308105346j:image洋服屋の縫い子たち。ミシンが来るまで全部手縫いだったのだ。

 ペリーが2度目に来た時、ミシンを持って来た。天璋院が日本で初めてミシンを使った女性だそうだ。

アイザックシンガーは5人の女性との間に24人子供がいて、富豪だったが死後遺産でもめたそうだ。無理もなかろう。参考※

ヴィクトリア時代のボンネット

1850年1840年ごろから写真が普及し始めた。
最初の頃はダゲレオタイプと呼ばれる写真で、今のお金で一枚10万円ぐらいしたので、そう頻繁には撮られなかった。
ところで、1839年世界で初めて撮影された女性のポートレートはこれである。
花をちりばめたボンネットをかぶっている。

 

f:id:dollyosaka:20170307153930j:imageフィラデルフィア1840年

 

f:id:dollyosaka:20170307153950j:imageメアリーキャンベルさん後ろ姿の写真に10万円なんて。

f:id:dollyosaka:20170307154239j:image南北戦争の銃後を守る産業援助会。1863年アイオワ州。左から、ミセス Lesslie、ミス メアリー シェルトン、秘書、m. w. ポーター博士、ニューカム夫人、副会長 Whittenmyer夫人、ミス m. McKibben、サンダース夫人。勇ましい顔やなあ。

 

f:id:dollyosaka:20170307154914j:imageボンネットのヴィクトリア女王と5人の子供。悲しそうだが、喪服だろうか。アルバート公逝去の時か?

 

 f:id:dollyosaka:20170307155124j:image南北戦争時代の母と子。

 

 f:id:dollyosaka:20170307171652j:image1850年中頃。

 

f:id:dollyosaka:20170307160430j:image ダゲレオタイプ写真の令嬢。1850年前後。

 

f:id:dollyosaka:20170307160749j:image1845-50年に撮られた女性。

 

f:id:dollyosaka:20170307163315j:imageこのバスケットはナンタケットバスケットに似ている。

 

f:id:dollyosaka:20170307164545j:imageこれでもか、というほどギュウギュウに花を詰め込んだボンネット。

 

f:id:dollyosaka:20170307170223j:image結婚式の写真かな。ハンサムなカップル。

 

f:id:dollyosaka:20170307170304j:imageママのドレスとボンネット、豪華。お金持ちそうや。

パリのファッション誌より。

1863年f:id:dollyosaka:20170307172245j:image

1864年f:id:dollyosaka:20170307172300j:image

1840-1850流行のヘアスタイル

1840-50年代に大流行したヘアスタイルがある。「Padded Wing Hairstyle 」真ん中に翼のように分けて耳を覆い隠しパッド入れたものらしい。

f:id:dollyosaka:20170306174751j:imagef:id:dollyosaka:20170306174816j:imagef:id:dollyosaka:20170306174837j:imagef:id:dollyosaka:20170306174853j:imagef:id:dollyosaka:20170306174857j:imagef:id:dollyosaka:20170306174919j:image

どうも、流行らせたのはヴィクトリア女王か?f:id:dollyosaka:20170307152347j:image

それともこの結婚前のSisi(エリザベート)16歳か。f:id:dollyosaka:20170306231523j:image

なぜ誰もスマイルしていないかというと、日中でも10〜20分間ジッとしていないといけなかったからだそうだ。

ローラの聖書

教会の礼拝に出席。ピアノの奏楽をする。

くたびれ、午睡。起きたら6時。

ローラインガルスの死後、彼女の聖書にメモが挟まれていた。  

彼女はミズーリ州マンスフィールドのメソジスト・エピスコパル教会に通っていて、婦人援助グループや日曜学校の二つを受け持っていた。子供の頃から聖句を暗唱し、賛美歌を歌い、聖書以外の信仰の書物は読んではいけないと考えていたようだ。

ローラのメモには「特に役立つ箇所」とある。

貧しくともパフスリーブの流行には敏感だった若き日のローラ。彼女は寝る前、新聞紙で前髪をカールしピンで留めて寝たそうだ。

オルデン牧師

大草原の小さな家」シリーズには実在の人物オルデン牧師が登場する。f:id:dollyosaka:20170305001216j:image

ローラインガルスも家族もオルデン牧師が大好きで尊敬していた。

ローラの残した文学とテレビシリーズによって彼の名は死んでも残った。

ところが、後年の資料により、彼にはちょっと知られていない部分があった事が分かっている。

オルデン牧師は1836年に清教徒の9代目の子孫としてバーモント州に生まれ、ダートマス大学卒業後、メイン州のバンゴー神学校へ進み、結婚。最初の妻は若くして亡くなり、アンナと1863年に再婚。希望して、ニューオリンズのストレート大学(黒人のための大学)で教える事を受け入れられたが、到着して夫婦とも病気になった。バーモント州へ戻って1864-67年まで牧師になった。その後、家庭伝道協会から教会を創設するためにミネソタ州ワセカで1867-70年まで牧師をし、妻子と暮らしていた。1874-75年ウォールナットグローブで教会を建設。インガルス夫妻に洗礼を授けた。

その後彼はミネソタ州サウスダコタ州の入植地スリーピーアイ、ニュー アルム、バーンストン、サラトガ、マーシャルを旅しながら巡回牧師をし、新しい街の教会建設を励ましてきた。

1879年シルバーレイクの偶然測量技師の家でインガルス家族と出会い、デ・スメットで最初の礼拝をささげた。

このエピソードはローラ・インガルス著「シルバーレイクの岸辺で」に書かれている。

シルバー・レイクの岸辺で―インガルス一家の物語〈4〉 (福音館文庫 物語)

新しい町デ・スメットの教会の牧師に就任するはずだったが、先にブラウン牧師が来ていたので身を引いて去った。

その後は今のノースダコタ州に移って、1889年までフォート・ベルトルト先住民保留地でインデアンの代理人をしていた。

※参考What Happened to Those People Laura Ingalls Wilder Wrote About? 著者: Daniel D. Petersonより。

 

ところがここからが問題である。

 

1885年、妻子とではなく16歳の学生の下宿人とサウスダコタ州スピンク郡に住んでいた事が記録に残っている。この学生はエルマー・クラークという名前である。

ローラの父さんも母さんもその事を知っていたが、「それでもブラウン牧師よりオルデン牧師が好きだ」と言っていたので、何か深い事情があるのだろう。

さらに妻がミネソタにいるのにダコタにいると嘘の報告をしてお金を誤魔化し、仲介人をしていたフォート ベルトルト先住民保留地の先住民に嘘をついたと怒らせ、命を狙われた事が、1878年8月15日のNYタイムズの当時の記事に残っている。

f:id:dollyosaka:20180530103600j:plain

彼は1890年東部故郷ヴァーモント州に戻り、聖職に復帰して前妻と離婚しないまま別の女性、子連れ未亡人のキャリー・アダムスと再々婚、77歳で死んだ。

今の法律では重婚かもしれないが、19世紀末の法律では最初の妻との別居は離婚と認められて合法だった。

 

ところで捨てられた気の毒な家族はどうなったのか。

長男ジョージ(1866-1944)はカールトン大学を卒業、ハーバード大学院で学んで大学教授に、

Archives: Alden

f:id:dollyosaka:20170305221815j:image

次男フレデリック(1873-1955)もミシガン大学の化学と薬学で学士を取り、研究所勤務の後イラストレーターになって名を残した。

F. W. Alden (1873-1955)

アンナは93歳まで生き、子供が立派になったのを見届けて亡くなった。ミシガン州に埋葬されている。f:id:dollyosaka:20170305000614j:image

あの時代にハーバード大学院に行かせるなんて、お金はあったのだ。

オルデン牧師はきっと仕送りをしていたんだな。時々帰っていたかもしれない。

オルデン牧師がインディアンに命を狙われたり、16歳の学生を下宿させていた頃、子供達はまだ小学生だった。妻アンナはきっと夫を信じて、子供には余計な情報を耳に入れさせず父を尊敬させ、立派に育てたんだろう。

テレビやラジオが無かったから出来たのだ。

立派な女性だな。

#大草原の小さな家

このブログを書いた後、新しい情報を知りました 。

http://dollyosaka.hatenablog.com/entry/2018/05/30/オルデン牧師2

ネリー・オルソンのモデル

大草原の小さな家」に出て来るネリー・オルソン。

f:id:dollyosaka:20170303135754j:image

原作はほぼ自伝に近いストーリーで、ほとんど実在の人物の名前が使われているが、彼女だけは本名を変え、「ネリー・オルソン」という意地悪女のキャラクターを作り出した。

ネリー・オルソンのモデルは三人。 ネリー・オーエンズ、ジェネビーブ マスターズ、そしてステラ・ギルバート。

  1. ネリー・オーエンズ (1868-1949)     弟はドラマと一緒でウィリーと言う。家族はウォールナットグローブの街中に住んでいた。ネリーはきれいな服を着て農家から来ているローラを見下した。残っている写真を見るとなるほど綺麗な服。でも一家は店をたたんでカリフォルニアに行き、再び引っ越してオレゴンにやっと落ち着いた。結婚して三人子供が生まれた。両親も彼女も弟もオレゴンのお墓に眠っている。なお弟ウイリーは火薬の爆発で失明し盲学校を卒業したが、結婚して子供が三人いた。81歳で死去。ネリーとウィリー。f:id:dollyosaka:20170303145658j:image
  2. ジェネビーブ・マスターズ(1867-1904)    ネリーとそっくりのキャラで、裕福に甘やかされて育ち、カールした金髪で仕立てられた服を着て、ニューヨークから来た事を自慢していた。ローラとはデスメットの学校の同級生。見るからにそんな感じだ。風邪をこじらせて41歳の時シカゴで死去。結婚して娘が一人。f:id:dollyosaka:20170303142243j:image
  3. ステラ・ギルバート(1864-1944)      記録によると非常に魅力的な人だったそうだが、アルマンゾにとても関心があり、何度かローラとアルマンゾのドライブに割り込んだ。でも彼女が馬を怖がったのでアルマンゾががっかりし、ローラが彼女を乗せて来るなら私の家に寄るなと行ったので、ローラが勝った。兄のデイブは「長い冬」の時危険を顧みず馬で郵便を取りに行った英雄。弟のフレッドはローラの友達で好きだったという。ワシントン州ヤキマで80歳で死去。f:id:dollyosaka:20170303150108j:image

 

2のジェネビーブ マスターズがもっとも意地悪キャラだったそうだ。でも早く亡くなったので「大草原の小さな家」が有名になった事を知らない。でも残りの二人は80まで生きたのでローラの本、読んだかもしれない。

もし読んでいたら、さぞかしカンカンに怒っただろうな。

#大草原の小さな家

 

女性を苦しめたコルセット

ヴィクトリア女王の孫でロシア大公妃エリザヴェータ・フョードロヴナ。この細いウエスト…f:id:dollyosaka:20170302125601j:image

何世紀にも渡り、西洋の女性はコルセットに苦しめられて来た。

f:id:dollyosaka:20170302125649j:image

マミーにコルセットを締めてもらうスカーレット。寸法を測って貰って「50センチ」と言われて「太った!」というシーンは驚きだった。私がもしマミーに測って貰ったら「相撲取り!」と言われそう。

f:id:dollyosaka:20170302153958j:imageコルセット店。そういえば私もひとつ持っている。腰痛用だが。

f:id:dollyosaka:20170302125937j:imagef:id:dollyosaka:20170302125938j:imagef:id:dollyosaka:20170302125940j:image

フォトショップのなかった時代、このウエストは本物の細さだろう。健康に良かったわけがない。

ローラ・インガルスも「大草原の小さな町」の中で、コルセットを朝から夜まで付けてるのが嫌で嫌で仕方がないと書いている。夜寝る時は外していたが、お母さんはいい顔しなかった。同情する妹キャリーに「あんたもヤングレディになったらせんなんねんやで。」と脅かすローラ。

女性の地位が低かった時代、あの手この手で男の気を引き、良い結婚ができるように努力した昔の女。中国の纏足もそう。

今の時代はコルセットや纏足はなくなったが、女優のハイヒールはレッドカーペットの必須条件だし、ダイエットによる摂食障害に苦しめられている。