砂澤ビッキという有名なアーチストの親戚で、アイヌ記念館川村カ子トの従姉にあたる女性の一代記。
今まで北海道で明治大正昭和と苦労して来た日本人の女性の自伝を、沢山読んだが、どの人も苦労苦労の連続だったが、砂沢クラさんの苦労は、群を抜いている。
- 子供の頃父に死なれて、貧乏を経験。
- 彼女は生きている間に4人の子供をすべて亡くしている。
- 夫はDV。
- 冷害に遭ったり、火事に遭ったり、借金で家も土地も失った事も。
- 和人にダマされて、家を追われた。
- 低層階級の和人にアイヌだと差別を受けた。
ただ、読んでて少しほっとするのは、親切な和人に助けられたエピソードが結構あること。さらにいつも貧しかったわけでなく時々まとまった金が入り、家を建てた事もあった。
さらに彼女は先祖達と同じく、動植物の知識の宝庫なので、自然の恵みから飢えをしのいだり糧を得ていた。
彼女の息子は戦争で北へ送られたが、輸送船が故障し無人島に2年いた。だが彼がアイヌで山の中から食べられるものを採って来る才覚があったので、皆から大変重宝がられ、生き延びた。このストーリーだけでも映画が出来そうだ。
またちょっと興味深いのは、子供の頃ピアソン夫妻の日曜学校に通い、アイヌ語の賛美歌を歌った、とある。
バチュラー宣教師は誰よりアイヌ語が上手だったとも。
職業も農業から魚捕り、看護師、夫のクマ撃ちの手伝い、民芸品経営、線路の雪かき、いろいろだ。
家族の結束は非常に固い。共に泣き、笑う。
彼女の自伝は、古い民話のように、迷信や言い伝え、不思議な物語で満ちている。
あれほどのDVに遭い離婚しそうになりながら、ご主人に先立たれた時、非常に悲しんでいる。写真を見ると大変ハンサムだ。 夫婦ってわからないものだ。
晩年はアイヌの伝統を伝承する重要な役割を果たした。