電話で申し込み、北海道家庭学校のチャペルを見学させてもらう。午前中は授業中なので、邪魔にならない時間。
この北海道家庭学校は、1914年留岡幸助が政府から払い下げられた広大な山林を、感化院として設立、現在も社会福祉法人の児童自立支援施設として続けられている。
幾つかの寮に夫婦の先生が男の子達と寝食を共にし、畑や牧場でお手伝いしているそうだ。
驚いたのは、門。門扉も柵なく、子供は逃げたかったらいつでも出られる。
このチャペルは、木はここの山林から、石は開墾の時出て来たものを使っていて、北海道指定有形文化財になっている。
古い木の匂いが、マサチューセッツ州コンコードにある「若草物語」の作者の父が建てた哲学学校を彷彿とさせた。
※追記
自叙伝によると設立者留岡幸助は、偶然にもマサチューセッツ州コンコードに滞在していた。
立派なオルガンとピアノがある。
チャペル後ろには聖書(新共同訳)と賛美歌が整然と並べられている。
チャペルの建てられている丘は、望の岡と名付けられていて「望を抱いて勉強し、良い人になるようにとの校祖留岡幸助の教訓の岡です。」と書かれている。
鬱蒼とした森に囲まれている。小鳥のさえずりが美しい。大正時代皇太子が来訪、植樹されたという木はどれだろう。
三浦綾子さんも生前旭川からよくここへ訪ねて来たそうだ。
設立者留岡幸助牧師の胸像。花壇の花は、子供たちが植えたのかな。
とにかく、「家庭学校」が今も持続している、というのがすごい。
大学などでの講演会の書き起こし。作者は長年校長を務めた人物だが、亡くなられたかどうか不明と聞いて謎めいている。
この本はとてもリアルで面白かった。北海道家庭学校の教え子を訪ねて歩いた先生のルポタージュ。それにしても寮では夫婦で寝食共にするのだから、教え子と言っても自分の子のようだ。ある卒業生は立派に仕事をして、妻子がいる。そうでない子もいる。在校時に書かれた作文が、悲しい。アイヌ民族への結婚差別のエピソードがあって、ショックを受けた。
創設者留岡幸助の自叙伝、すごく面白かった。