彼女はドイツ系カナダ人として1930年カナダ、マニトバ州で生まれ、第二次大戦開戦と同時にドイツが敵国になったので、家庭内で使われて来たドイツ語を英語で話すようになった。
10代の頃家族でアメリカに移住し、オレゴン州セーラムの高校を卒業後デパートに就職、指図が上手いと抜擢されて管理職になり、ATTに転職して部長にまで出世して定年まで務めた。
その一方牧師と結婚して教会の行事を完璧にこなしながら、5人の息子に恵まれたが、三歳だった息子のポールを車庫から出そうとした父の車で事故死させ、夫婦は深い悲しみを乗り越えねばならなかった。
残った息子四人のうちひとりは牧師、二人は教師、ひとりは消防士となった。いずれも信仰深く、アメリカでは珍しく離婚もせず、家族仲が良い。
彼女が57歳の時、夫と電話で話している時突然夫の声がしなくなった。駆けつけた時はもうこの世を去っていた。
ドーリーはご主人の死で絶望に打ちのめされたが、ある「英会話教師募集」の広告を見て「これだ」と応募し、退職して英会話の先生として短期宣教師ビザで来日。私の家族の通う金剛バプテスト教会に赴任し、2年間近隣の住民に毎日英会話を教えた。
私は彼女が契約を終えて帰国する直前に知り合った。その数ヶ月後、私は渡米、彼女の息子の家に2ヶ月ホームステイしてピアノのレッスンを受けに大学に通わせてもらった。
彼女はその後何度も来日し、すっかり親日家となった。日本人を心から愛していた。
ドーリーは私がバークリー音楽大学に入学するために推薦状を集めるなど尽力をつくしてくれ、オレゴンからボストンまで大陸を横断して卒業式にも来てくれた。
66歳でアーニーさんと再婚して17年添い遂げた。老後は人徳のある牧師である彼と暮らして幸せそうだった。
だが二人に軽い認知症が見られ、ある日子供達が行くとそこには洗わないまましまわれた包丁や、賞味期限切れの食品が冷蔵庫で見つかった。説得に説得を重ねて、半ば強制的に介護施設に入居させた。大変だった、と家族はいう。
3年前アーニーさんに先立たれた彼女はパーキンソン病をわずらっていて、介護施設に入居を続ける。
96歳のドイツから来たフランクと言う仲良しの友達も出来て、いつもご飯は一緒だった。ドイツ語で会話もできた。
数ヶ月前転倒して頭を打った彼女は、脳内の出血で重い病状に。数日前には飲み込めなくなっていた。
トランプが大統領に選ばれた当日、彼女は安らかにイエス様のもとに旅立った。
トランプもドイツ系だが、ドーリーもそう。ちょっとキャラが似ていた。
押しが強く、自信に満ちて、上手に命令、マニピュレートしていたところだ。
そしてまさしく、歩く共和党、ワスプ、愛国主義者だった。
ああ、私は彼女から良いとこも悪いとこもアメリカについていっぱい学んだ。メンターだった。
絶えず励まし勇気付けてくれた。
信仰心のある彼女は、辛い事を乗り越えて、神様にいつも全面信頼していた。
去年11月の感謝祭に彼女に会いに行く事が出来て、良かったと思う。
出来具合は気に入らなかったようだがネイルサロンにも行けたし、途中で大変な事になったが買い物にも行けた。施設のロビーでピアノも弾き歌も歌ってもらった。アメリカの介護とはどういうものか、も経験出来た。
ドーリーは日本に再び行きたい、日本の友達に会いたいと言っていたが、願いは届かなかった。
享年86歳。
ところで、ドーリーは今、天国でややこしい事になっていないだろうか。最初のご主人、アーニーさん、アーニーさんの最初の奥さん…みんないたはる。
でも心配はいらない。聖書にある。
「復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。」(マタイ22:30)
ドーリーと4人の息子。去年の12月15日の孫の披露宴での写真。
クリスチャンは悲しみの中にあっても、喜びを見出す事が出来る、と添え書きされていた。