3000万部売れたという「風と共に去りぬ」の作者のマーガレット・ミッチェル(1900-1949)はジョージア州アトランタの裕福な弁護士の家に生まれた。生粋のサザン・ベル(南部娘)である。
激動の生涯だった。自動車事故を3回、落馬事故を2回、ドレスに火がつく事故、腸の癒着、パーティで酒瓶が頭に当たったなど事故が多い人生で、死亡原因もタクシー運転手にはねられた事故だった。
最初の結婚式。左から二番目が二人目の夫、左から五番目が最初の夫、その隣がマーガレット、一番右が兄。
本になった唯一の作品「風と共に去りぬ」のモデルは彼女自身ではないかと思うぐらい、社交界の華で、モテた。6人にプロポーズされたそうだ。フラッパーの申し子で「アパッシュダンス」を踊ったかどで、社交界からしばらく締め出される。
18歳の時アシュレイのような文学が好きで繊細なハーバードを出たヘンリーと婚約。第一次大戦でスミス大学に入学したマーガレットは汽車の中で偶然彼の父と向かいの席になり、同行していた母親とも家に招かれ非常に好かれたが、2ヶ月後戦死の知らせを受けた。その2ヶ月後今度は母親がスペイン風邪で危篤の知らせを受けて帰郷。家に帰ると母は死んだ後で、父はショックで虚ろになっていた。スカーレットが戦火をくぐり抜けて帰宅したら、母がすでに死んでいたエピソードがあるが、彼女の経験が元になっているのだ。
大学を中退してアトランタに戻ったマーガレットは22歳で最初の夫レットと結婚。レッド・バトラーのようなタイプだったようだ。新婚旅行中に死んだヘンリーの思い出を語って彼の両親に絵葉書を出した事で、相手は激昂。最後はマーガレットが入院するほどのDVを起こし離婚。25歳で再婚した二番目の夫ジョンはとても良い人で、事故の骨折で引きこもりの彼女に励まして、この作品「風と共に去りぬ」が出来たそうだ。
彼女の母方の祖母が南北戦争の生き証人だったので昔の南部の話を聞いて大きくなった。父もアトランタ歴史協会の会長だった。
マーガレットの亡くなった母は厳格なカトリック。スカーレットの母と同じ。
「こんな自分の姿を母が見たら、母はどれ程悲しむだろう。亡くなっていてよかった。」
と作品に時々出て来るのは自分の事を言っているのか。
伝記を読むと風と共に去りぬの成り立ちがよくわかる。
48歳と言うのは若すぎる死だ。
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