1775年、独立戦争の時、ボストンに住む銀細工師ポール・リビアは英国軍の動きを察知し、夜11時に早馬でレキシントンまで味方のジョン・ハンコックとサムエル・アダムスに知らせに行った。彼はチャールズ川を渡って対岸のチャールズ・タウンに渡ったそうだ。そこからだと現地まで自転車で1時間9分、車で35分の距離だ。このエピソードは伝説となり讃えられ米国の小学校では劇を上映し、歌まである。彼の走ったその道はポール・リビア・ロードとして知られている。
ところが、さっき1776年の地図を見つけた。ある事を発見。この当時ボストンとチャールズタウンまで、橋はまだ出来ていない。
彼の家❌からチャールズ・タウンへ行くに、
どないして渡ったのかめちゃ気になる。馬を泳がせたんやろか。
ポール・リビアは83才で死んだ時、16人の子供のうち5人が生きていた。食べていけないので鋳物屋になり、900もの教会の鐘を作り、今もキングス・チャペルで使われている。銀細工や版画の作品も数作り、ボストン美術館で見ることが出来る。器用な人やったんやなあ。
100年ほど前の昔のボストン。
今もあまり変わらない。
ボストン・コモンのカエル池。
男女とも帽子かぶっている。
ワシントン・ストリートの賑わい。路面電車は地下鉄になった。
パブリック・ガーデン。今と一緒。
公立図書館もそのまま同じ。
サウス・ボストンのマリンパーク。
パーク・ストリート教会1809年設立。手前の墓地にポール・リビアのお墓がある。1829年に奴隷解放を最初に呼びかけた由緒のある教会。クラシック音楽の礼拝と流行りの音楽を使った若者礼拝とがあり、若者礼拝はバークリーの先生や学生が音楽を担当していた。この教会にはルーム・メート達と時々行っていて、一度正装して教会主催の舞踏会にも出席した。(生まれて最初で多分最後)