去年亡くなった叔母は、父の3歳下の妹で、この二人は晩年喧嘩するまで、仲が良かった。
ずってる叔母のタイツ。
父兄妹は早くに実母を亡くしたので、叔母一子が母代わりに可愛がって育てた。
独身だった一子は、誰にも拘束されない全く自由な人だった。音楽が好きで、詩も書いた。
ここから、戦争中に撮った写真。
三人官女がわんさか集合しているお雛様。並べ方などどうでも良いのだ。
戦争で焼けるかもしれないから、物置からあるだけ出してきて飾って撮ったのかも。
一子、叔母、旧制中学の制服を着た父、そして一番右の戦時中とは思えぬ栄養状態の良さそうなサザエさんヘアは誰だろう*1? 叔母が死ぬ前に聞いておくのだった。
叔母は五条に疎開、父は大阪でB29が庭に落とした焼夷弾の不発弾に、濡れたムシロを被せて彼なりに家を守っていた。父は旧制中学で軍事訓練を受けていたが、生涯話したがらなかった。
左から叔母、一子、父。お正月。
上の写真はいずれも戦時中に密かに撮られた。
本来なら女は全てモンペでないといけなかったが、着物を着て隠れて撮った。
一子は軍の命令である貴金属の供出を隠し通し、軍事政権に逆らった。金物店だったと言うこともある。
非国民だった一子は、終戦の日、寝転がって玉音放送を聴き、「戦争終わった〜〜。」と手を叩いたそうである。
同じ日、母の家族は、全員直立不動でラジオを聴いたと言う。家によってもいろいろだと思う。
*1:読者より、いとこの民子だと教えて貰う。