笠智衆と言えば、昭和映画に無くてはならぬ名脇役。寅さん映画に出てくる「ごぜんさま」である。
伊丹十三のお葬式でも住職の役をやっていた。彼はお寺で生まれ、親戚もお寺。小学校に入る前から檀家周りの手伝いをしていたので、板についている。ところが、俳優になるため家を飛び出して上京。連れ戻しに来たおじさんに「仏教は信じていないから、住職にはならない。」と言ったそうだ。
とにかく膨大な量の映画に出ている。29歳からお爺さんの役をしている、という。
しかも松竹の大部屋から幹部まで異例の出世をした。お酒も飲めず、熊本弁が抜けないのに、なぜ彼がこれほど小津安二郎始め、名監督から愛されているのだろう。
国際的に高い評価を受けた「早春」は何十回もダメ出しをされ、彼の演技は酷評された。でも自己主張せず、監督の指図にただ従っていたのだそうだ。
友達に勧められて応募したそうだが、若い頃の笠智衆は、容姿がいい。
どの話も映画史そのもので興味深い。その中でも、大阪万博の時に撮った山田洋次監督の「家族」の撮影エピソードが面白かった。
さて撮影もあらかたすんだ後、北海道に着いてからの場面で家の戸口の所の私の芝居が、どうも具合が良くないと分かった。そこで早速、飛行機で、役者は私だけが北海道へ飛んで、そのワンカットの取り直しをして帰ってきたのである。そしてその次には、スタジオでセリフだけを入れるアフレコの仕事が待っていた。そこで、私は、あることにハッと気づいたのだ。
それは姫路の駅頭の指示にである。(中略)私のセリフは、「おまえもな」と言った一言だけだったのだが、実はそれまでずっと入れ歯を外してやっていたのか、その時だけ、うっかりはめたままだったの突然、思い出したのである。
いよいよアフレコが始まると言う時に、そのことを録音担当のミキサーに、「山田さんに言っちゃダメだよ」と釘を刺しながら、こっそり打ち明けたのだ。しかし事実を知ったミキサーは黙ってるわけにもいかなかったのだろう。それを聞いた山田監督が顔色変えて飛んできて、「もう一度、姫路でロケにいきましょう」と言い出した。北海道へ取り直しに行ったばかりで、また姫路へとは、これは大変なことになったと、私も慌てた。
しかしともかくフィルムも調べてみようということになって、その場面を何回も回してみたら、まずほとんどわからない。まぁいいだろうと言うことで落着したが、あんなばつの悪い思いをしたことも滅多になかった。今頃、こんなことをばらすのも具合が悪いかもしれないが、それにしても、ワンカットと言えど決しておろそかにしない山田監督の態度には、改めて感服した。そういう店は、かつての小津先生何かと共通したものを感じる。