1921年大阪市南区西賑町に建築金物卸売店をオープンした祖父。
家族は太平洋戦争が始まるまで、店の斜め向かいの家に住んでいた。母はそこで生まれた。
古い地図を見ていたら、その場所は江戸時代に瓦の土を置く場所になっていたことがわかった。
★印は祖父の店があった場所。
1843年
明治になって、その場所は西新瓦屋町と名づけられた。
1886年
大正になって、西賑町と改名。
1912年
1923年
1957年より、谷町九丁目に改名された。
近くに直木三十五の石碑がある。
谷町の薄病院のススキ医師は篤志家で、生前の直木氏の恩人だった。
このドクターは力士の面倒もよく見ていたので「タニマチ」の語源となる。
母のしもやけの治療をしてくれたのも、この先生だそうだ。
地図掲載は日文研から許可を得ています。
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