阪神高速を使って、淡路島経由で徳島へ。
鳴門のドイツ館を訪問。
第一次世界大戦で敗戦となったドイツ軍の捕虜を収容していた鳴門市。かなりの年数だったので才能のある人も多く、オーケストラが作られたと言う。
地元の人々と交流した。日本人と結婚した人もいる。
戦争が終わってからも日本人が犠牲者の慰霊碑を大切にしていることを知って、交流が始まったと言う。
隣接されている道の駅で、ドイツのソーセージのホットドッグを食べた。
すぐ隣が賀川豊彦(1888-1960)の記念館だった。
彼は神戸で生まれたが、幼少期に両親がなくなり出身地である徳島県の鳴門に連れてこられた。
クリスチャンになって明治学院大学に入学。伝道で熱心になって肺結核で喀血するが、すばらしい奥さんと結婚し、71歳まで生きることができた。
業績は素晴らしい。スラム街で貧しい人に寄り添い、生協を作ったり、労働運動を手伝ったりして検挙されたこともある。
だが彼は日本だけではなく海外でも頭の良さとその思想の素晴らしさで高く評価され、ノーベル賞の候補に何度も上った。
先々週新渡戸稲造の記念館に行ったが、賀川豊彦の方が偉大だと思った。
ベストセラーになった「死線を超えて」は今でもまだ売られている。