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空の鳥 dollyosaka

主に飼い猫+野鳥を撮って、紹介しています。 北海道と読書と温泉が好きです。

ルイザ・メイ・オルコット四姉妹

読書

若草物語は作家ルイザ・メイ・オルコットの自伝的小説である。父が南北戦争に従軍、留守を守る母と四姉妹の物語。数ある少女向け小説の中でも群を抜いて奥が深くてリアル。三度映画化された。そのモデルになった四姉妹は、どんな人生を送ったのだろう。

  1. 長女メグのモデル、アンナ・オルコット・プラット(1831-1893) 続若草物語に出てくる描写そのままの結婚式を挙げたそうである。子供は双子でなく、男の子2人。早くに夫を亡くしたが、ソローが住んでいた家で子供を育てた。f:id:dollyosaka:20160827191516j:image
  2. 次女ジョーのモデル、作家ルイザ・メイ・オルコット(1832-1888) 一生結婚はせず独身だった。奴隷反対主義でフェミニスト。汽車に乗り遅れたと言う理由でボストンまで4時間歩いて舞踏会に行った男勝り。貧乏だったオルコット家に豊かさをもたらせた。父の死後2日で死去。f:id:dollyosaka:20160827191532j:image
  3. 三女ベスのモデル、エリザベス・セワル・"リジー"・オルコット(1835-1857) 物語と違って南北戦争が始まる前にたった22歳で亡くなった。埋葬にはソローやホーソンなど米国文学史に名を残した人々も参列。f:id:dollyosaka:20160827191850j:image
  4. 四女エミリーのモデル、アビゲイル・メイ・オルコット(1840-1879)画家。ヨーロッパに三度留学。パリで個展もする。38歳で22歳のタバコ商人でバイオリン奏者のスイス人と結婚し翌年女児ルルを出産したが、七週間後パリで死去。子供は姉達がコンコードで育てる。(96歳まで生きた。)f:id:dollyosaka:20160827191712j:image

 

こうして見ると、ベスだけではなく、エミリーも早くに亡くなっている。若草物語の創作された家、オーチャードハウスだけでなく、メグが住んでいた家も歴史的建造物ソロー=オルコットハウスとして残されている。

聖書を読んで今日感じた事

「私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。」(第一ヨハネ3:16より)

 四姉妹の三女ベスは、近所の貧しい移民を助けに行って、猩紅熱をうつされ22歳で早世したが、困っているのを見て助けずにはおれなかった。本物のクリスチャンだなあ。

前線に沿って航行中

目覚めると10時。酔い止めはよく眠れる。

ダイニングに行くと、船は靄の中。露天風呂も小雨交じりだ。

ランチは十勝ホエー豚の丼。

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午後は、青空文庫の小説や、ゲーリークーパーの映画を観て過ごし、さらに昼寝。

能登半島沖辺りから海が荒れ始め、水平線はアップダウン。f:id:dollyosaka:20160827010720j:image

夕食はトマトのロワイヤル。美味しかった。

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今回は、海の見えない側のツイン。トイレ洗面所付きで、どれほどありがたいか。

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 去年、帰った時は青い空と青い海だったが、今回はねずみ色の空の船旅。

聖書を読んでふと考えたこと

「彼らはヨナをかかえて海に投げ込んだ。すると、海は激しい怒りをやめて静かになった。」(ヨナ書1:15)

ヨナのせいで嵐で難破寸前に。とんだ船旅になった人々。自分のせいだから自分を投げこめと命じて海に放り込まれるヨナ。助かった周りの異邦人達は、主を恐れ生贄を捧げ請願をたてた。

揺れる船に乗りながらこの箇所読んだら、真に迫るわ。

コスモスって

寒くて目覚める。亡くなった叔母と泊まった部屋だ。ホストマザーのお誘いで、滝川の「アカゲラ」でランチ。女主人はターシャチューダーがお好きで、クラフトの写真集も出したとか。

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次に、喫茶「ピーベリー」の原紀子さんの版画展へ。ネコが主人公の可愛い作品だ。

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芦別富良野占冠、山日高を抜け、平取町のジャンケポンでディナー。

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国道沿いは秋の気配。

平取町の大きなセンターで行われたゴスペル教室にO夫妻に行こうと誘われ突然出席する。T・T子さんにもお会いできた。ゴスペルの先生は教会で会ったことのあるHさんだった。

フェリーの時間があるので、中座しニャンコ座に寄り、nyankaiさん始めマコちゃんとネギちゃんに会ってフェリー・ターミナルへ。

今日は叔母と一緒に訪ねた人々に五人会った。どなたも悼んで下さった。

コンビニの前に置物のように動かない黒猫が。マコちゃんに似ている。

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苫小牧東港から「すずらん」に乗船。

今日読んだ聖書でふと思ったこと

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。
 わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)

ゴスペル教室では「君は愛されるために生まれた」を歌った。これは教室のテキストに書かれてあった聖書の言葉だ。自尊心がなくなりそうな時に読めば非常に励みになるなと思った。

茶色く蛇行

ピーチで新千歳空港に飛んだ。窓際だったので、昨日までの洪水の爪痕が見えた。小川も茶色く蛇行している。

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エアポートパーキングの送迎ワゴンで、駐車場へ行くと、私の車はピッカピカだった。

なぜなら、とめていた1カ月と4日の間に、台風が3回来たからだ。

中の荷物も無事で、望遠カメラなど、助手席にちゃんと忘れてあった。

気温は22度。でも大変蒸し暑い。

滝川の友人を訪ねる。こないだ亡くなった叔母が泊めてもらった時持って来たイチゴのタワシが壁に飾ってあった。

今日読んだ聖書より感じたこと

「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。」(マタイ7:26)

聖書には洪水はよく出てくる。人々は洪水を恐れていたのだろう。岩の家に建った家、クサビは入れにくいが、地震にも強いようです。

虫のいどころ

うちの猫、虫のいどころが悪く、「テディベアで遊ぶな。」

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キッとなって猫パンチ。

28度に設定してある部屋の中が30度なので変だと思ったら、外の気温が37度だった。暑い。

 

関東や北海道では台風の被害。連続で3回も北海道に上陸した。農業している友人に尋ねたら、全部ダメだとの事。しゃがんで草取りをして、苦心して育ててきた畑の食物がだめになってしまったら本当にお気の毒だ。

 

今日の聖書を読んでふと思ったこと

「主を待ち望む者は新しく力を得、
 鷲のように翼をかって上ることができる。
 走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ40:31)

災難や病気で苦しいこともあるが、新しく力を得る方法は「主を待ち望む」これに尽きると思う。

 

一ヶ月ぶりのドライブ

家族葬の賛美歌のオルガンの奉仕で、牧師夫妻と光明池にあるメモリアルホールへ。友人のお母様で92歳の故人はひ孫を含む親族に見守られ、安らかに旅立った。

オルガンの所有者が6時に取りに行くことになっていたが、葬儀場で通夜が入って対処できなくなり、参列者の別の車に積んで帰ることに。なんと私が運転した。

運転ほどストレスの解消はないと改めて認識。喪服の女性三人で喜志のカフェに行く。浮いていた。

 

関東に台風が直撃。今年一緒に旅行する予定だったSちゃん一家は、飛行機が飛ばないことになって羽田から家に戻った。

 

今年の夏は計画倒ればかりだ。その上叔母を見送り、友人のお母様を見送った。

 

今日聖書を読んで気づいた事。 

 「草は枯れ、花はしぼむが わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」(イザヤ40:8)

2週連続で女性をお見送りをした。二人ともかつては花嫁だった。そして年を重ね、世を去られた。でも変わらない言葉もある。

カラカラの猛暑

大阪に帰って以来猛暑日が続いているが、雨も降らないので、うちの周りは先週あたりからセミすら鳴かなくなった。喉がカラカラになったものと思われる。

 

自転車で教会に行く。92歳のIさんが天国に行かれたという。彼女は数年前チャーチカフェに来られた時、中西牧師に信仰告白され、洗礼を受けられた。決断力の早い方だった。

今日は読んだ聖書で感じたこと

「あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」(マタイ20:16)

何年も前から教会に来ても神様がもひとつようわからへん、という学校時代の友達と、ある日クリスチャンになると即断即決した故人。人生の終わりはいつかわからないという焦燥感がそうさせたのかな。