【紫式部日記】 清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名(まな)書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行くすゑうたてのみはべれば、艶(えん)になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよくはべらむ。
【わたしの訳】
清少納言いうたら、知ったかぶりして偉そうな人どす。あれほど利口ぶって漢字を書きちらかしてはるが、よう見れば、まだまだあきまへん。このおかたのようにように、他人より一段と秀でようと思ってるような人は、必ず見劣りしてきて、行く末は悪うなるばかりどすやろ。風流を気取るくせがついた人は、大したことのうても、しきりに感動しているようにふるまい、おもしろいことを見過ごさへんようにしているうちに、浮ついた態度にもなるのどす。そんな浮ついた人は、将来ろくなことあらへんどすやろ。
紫式部は、自分の夫の服装を枕草子でからかった清少納言が、許せなかった。それに自分と同じような職業で比べられて、ムカついていたのだと思われる。
2人は宮廷にいた時期もずれて、面識がなかったと言われている。