唐の時代の終わり頃からほんの100年ほど前まで中国女性を苦しめたのは纏足の習慣である。9センチの足は三寸金蓮と呼ばれ、美人の条件だった。良い縁談の条件で、纏足でなければ舅姑や夫から蔑まれ、惨めな人生を送ることになったので、母親は泣く子を押さえつけて布で巻き、4本の足を丸めて、先を尖らせた。骨は変形し発熱したと言う。
暴力を振るわれても走れない、というのも逃亡の防止になり、婚家に有利だった。
習慣が完全に無くなったのは戦後なので、今も田舎の村に、纏足の女性が残っている。
このおばあちゃんたちの夫のインタビューを見たことがあるが、嫁に来た時の足の可愛らしさを絶賛していた。
ボストンにいた時ルームメートに中国人学生がいた。彼女の祖母は将軍の第二夫人で、台湾に逃げた時置いていかれ辛酸を舐めたそうだ。纏足は西洋のハイヒールと同じで、歩くとなよなよとセクシーだったんだそうだ。
それにしても、幼児虐待もいいところだ。
セーラムのピーボディ博物館で本物の靴を見たが、小さくて美しく刺繍が施されていた。
この子は枕を売っている中華民国の女の子。纏足は貧しい少女にも施された。
1890年の姉妹。
パールバックの「母の肖像」には19世紀の、虐げられる中国女性の実話エピソードが出てくる。
また彼女の「大地」には纏足をするかしないかで、扱いがどう変わるかも詳細に書かれている。
私の七五三の着物の写真をアメリカ人に見せたことがある。その人(60代)は「纏足されなくてよかったね。」と言った。
それ、いつの話や。私はジャパニーズや。いっぺんはったおそか💢