空の鳥

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ローラインガルスと家族の死

大草原の小さな家」のローラの家族が死んだ時、父さんのお葬式には駆けつけた彼女だったが、母さんやメアリーの時は葬式に出席しなかった。それはなぜか?

ローラインガルス の研究者パメラ・ヒル氏に質問したところ素早い回答があった。

 

1920年代、ミズーリ州マンスフィールドからサウスダコタ州デメットに向かうのは大変なことでした。

1920年代には、米国の高速道路システムは非常に原始的でした。インター・ステイト高速道路やフリーウエイはありませんでした。道路の多くは未舗装で、でこぼこで、さらには危険なものでした。 1931年、サウスダコタ州マンチェスターからマンスフィールドに行くまで、ローラ達は6日間かかりました。より新しい方法として列車をつかっても数日かかったし、費用は莫大だったでしょう。

キャロライン・インガルス(母さん)は1924年イースターの日曜日に急死した。死亡記事によると、彼女の死は 「予期せぬもので、あっという間に病気になった。」利用可能な交通手段を単純に考えても、ローラは、彼女の母親の葬儀に間に合うようにデ・スメットに戻る時間はなかったでしょう。

メアリーが4年後に死亡したときも同様でした。彼女はサウスダコタ州西部のキーストーンにあるキャリーの家で亡くなりました。デ・スメット・ニュースによると、メアリーの遺体は「木曜日の午後、スワンジー夫人(キャリー)と一緒にデ・スメットに到着した」とある。メアリーは1928年10月17日に亡くなり、1928年10月19日葬られた。ローラーが運転しても列車に乗っても、葬式に行くのに十分な時間がなかったでしょう。

ローラは1902年に父さんが死ぬ前にデスメットに戻ったが、デスメットニュースによると、彼は「数週間の病気」に苦しんでいました。ローラは家に帰ってきて、さようならを言う時間がありました。」

 

移動手段が問題で、お葬式には行けなかったのである。

疎遠や確執では全く無かったのだ。

今でもアメリカではお葬式はすぐしないで、みんなが集まれるまで冷凍庫で保存する。

ドーリーやご主人の時もそうだった。息子の舅も最近なくなったが、お葬式は数週間後だった。

サウスダコタの高速道路がやっと出来たのは1958年。メアリーの死後30年経ってる。

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作家パメラさんのお父さんが生まれた1929年ごろ、アーカンソーでは馬がまだ移動手段で、トラクターでなく農耕馬使っていたそうである。

アーミッシュみたいな生活手段は、結構最近までアメリカの田舎では使われていたのだ。