空の鳥

主に飼い猫+野鳥を撮って、紹介しています。

古文書の解読。

曾祖父は明治10年に西南戦争に従軍。
さらにさかのぼる事明治3年に当時43歳だった高祖父ではないかと思われる人が、先祖由緒并一類附帳 に、直系6代前からいとこまでの親戚の名前や職業を書いて明治3年に金沢藩庁に提出した。
高祖父が書いたのはこれを提出した1万1761家のひとつ。なんと加賀藩には地方公務員が多かったんだろう。

マイクロフィルムのコピーをじっくり読むと、驚くべき事実が判明した。

記録に残る最古のおじいちゃんは、1685年に富山県射水市小杉の新町に赴任、年収20俵の加賀藩の足軽として役人奉公を始める。
そのまま6代、子孫は同じ職業、同じ年収で同じ町に住む。仕事は山廻り(山岳警備兵みたいなものか?)。

彼らとその妻の死んだ年が記録されているが名前は夫のみ。妻は父親の名前が書かれている。
先祖のお嫁さんたちはほとんど近辺の足軽や商家や農家からお嫁に来ている。年収20俵じゃ食べていけないから、商家や農家からもお嫁さんをもらったのではないか。

ところで、女性にはなぜ名前の記録がないのか?

戸籍によると曾祖母は「捨」と言ったらしい。アメリカ留学した津田梅子さんと一緒に行った大山捨松さんと同じ頃の人だから、流行していたのかもしれないが、それにしても女の子に「捨」はあんまりだ。

西南戦争から帰った曾祖父は、東京で士官学校を卒業したが、故郷に帰れと親戚に言われて帰り、金沢で国税局に就職、母方の親戚といとこ「捨」結婚して、8人の子供を儲けた。その6番目が祖父、ということになる。

写真前列左が「捨」さん。後ろが曾祖父、中央のよだれかけをかけた子どもが祖父。1901年春撮影。