20世紀最大の王室スキャンダルと言えば、シンプソン夫人である。
英国王エドワード八世が、アメリカ人の既婚女性シンプソン夫人を好きになって、一緒になりたいと言い出した。
離婚してウォリスは独身に戻ったが、2回も離婚歴があるアメリカ人なので、国王は首相から別れるか王位を捨てるか選択を迫られた。
王はラジオ放送で国民に宣言。
「愛する女性の助けと支え無しには、国王としての義務を果たすことが出来ない。」
そして王位を弟に譲った。国民はびっくりし世界中のマスコミが書き立てた。
これが「王冠を賭けた恋」である。
ウォリス・シンプソン(1896-1986)
ウォリスは1896年アメリカボルチモア生まれ。生後5ヶ月で父を亡くして母子家庭。母は下宿屋を始める。
裕福な親戚の援助で社交界に。若い時の写真を見たら、サラ・ジェシカ・パーカーに似ている。1914年(20歳)
「いつかお金持ちと結婚するのが私の夢やねん。」と友達に話していた。わかりやすい女や。
そのため社交界で洗練された女性になるよう、会話やマナー、ダンス、ファッションセンスを磨く努力をした。
1916年パイロットと結婚。20歳。相手の酒乱で離婚。
1928年、会社社長のシンプソン氏と再婚。32歳。
念願叶って金持ちと結婚する夢が叶ったウォリスは、ロンドンの社交界で人気者となり、「今が1番幸せ」と周囲に話していたが、幸か不幸かエドワード八世と出会ってしまう。
ウォリスはどん底から這い上がって、向かう所敵なしの社交界の花だったので、国王の心などイチコロにしてしまった。銀座のクラブのママのナンバーワンみたいなものだ。この男の場合はどう扱うべきか、経験を積んでいる。
母の愛を幼少時に受けていなかった王に対して、お母さんのように振る舞ったという。
ウォリスにメロメロの国王は、国民の期待に反して、国王をやめてしまった。ウォリスの期待も反したに違いない。
1937年ウインザー公になったデイヴィッドと友人16人だけ招いてフランスで地味に再々婚。41歳。挙馬車パレードもロイヤルウエディングも宮殿のバルコニーで手を振るのも無し。ただ、結婚指輪だけはムガル帝国皇帝が所有していた世界最大のエメラルドを半分にした片方だった。幾らするんやろう。彼女は思ったに違いない。いざとなったらこれ持って逃げられるわ。
お金はあっても貧乏くじ引いてしまった彼女は英国王室からも英国民からも嫌われメディアからも叩かれた。ウインザー公は帰国も許されなかった。
身体の弱い弟バーディが王になり、吃音を克服したものの早く死んでしまった。王妃エリザベスとエリザベス王女はカンカンに怒った。
お父さんが早死にしたのはあの女のせいや。
折しも戦争。ドイツのヒトラーが元国王の夫妻に目をつけ、自分の山荘に招待。ドイツ国民は大歓迎。二人はイギリスを裏切ってヒトラーと仲良しに。ウォリスにはスパイ疑惑も浮上。
「これはちょっとヤバい」と考えたチャーチル首相は、ウインザー公をバハマ総督に就任させ、二人をヨーロッパから遠ざける。
戦後も暫くイギリス王室から遠ざけられ、エリザベス女王の戴冠式にも招待されなかった。
「イギリス大っ嫌いや。」と友達に言ったそうである。無理もない。でも自分の蒔いた種や。
夫妻は公爵の地所を売ったお金があったので、パリで贅沢に暮らしていた。
有名な猿の模様のドレス。
1967年にやっとエリザベス女王のお許しがでて初めて招待してもらう。
1972年夫ウインザー公爵が死去。76歳。お葬式の時、初めてバッキンガム宮殿に公爵夫人として滞在。後にいるのは確執のあった小姑王太后エリザベス。振り向かずに去ったと言う。
1986年パリの城「ヴィラ・ウインザー」でウォリス死去。享年89歳。
葬儀にはダイアナ妃も参列。
今はイギリス・ウインザーの王立墓地の夫の隣に眠っている。
夢は叶えたかもしれないが孤独な生涯だったろう。
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