2024-09-01から1ヶ月間の記事一覧
太平洋フェリーはWi-Fiサービスをやめたので、21時間ほぼシグナル無しだった。時々岬が近づくと携帯アンテナが一本立つ位だ。一斉にLINEの着信音が周りの部屋から聞こえる。 読んでる本を持って来たら良かったと後悔した。テレビは面白くないのだ。 渥美半島…
台風が発生してはるか沖合にあるので、揺れるのを覚悟し酔い止めを買いに行った。 11時に乗船。フェリーは時々乗るが、この会社が最もアナログだ。Wi-Fiすら入らない。 一等船室に泊まった。なぜだか車とセットでお得価格になったのだ。 すれ違うフェリー「…
宿をチェックアウトして、松島に行く。 福浦島へ繋がる赤い橋は震災で流され、修復された。 この島はブラタモリで紹介されていた。 観光船には乗らず、多賀城へ。友人にやっと会え、ココスというレストランへ。 食事はロボットが運んできてくれるのだ。話に…
石巻「笑うべ会」主催で童謡唱歌の会をさせていただく。社会福祉協議会の方が手伝いにこられた。 参加者は10人。 出席者は面白いこと言ってゲラゲラ大爆笑する人達ばかりだった。「笑うべ」と意気込んで来られてエネルギッシュだ。 みんな宮城県人でほぼこの…
須賀川の有名人、特撮の創始者円谷英二ミュージアムへ。 すごい立派な図書館の5階にあって、特撮の様子がジオラマになって展示されていた。子供の頃テレビで観ていた怪獣崖散らしたビルや家は、全部手作りだったのだ。 街の歩道のあちこちに、ウルトラマンや…
福島県須賀川市から西へ出発。 小内宿という昔を再現した藁葺きの宿場へ。 丘を登った所の眺めがあまりに綺麗ので「綺麗!」と思わず言ったら隣の中国人も「キレイ」と言った。 北上して会津鶴ヶ城へ。 悲しい歴史のある城だ。小内宿も会津鶴ヶ城も、前から…
茨城県といっても、何が有名なのか、本当に見当がつかないので、筑波大学に行っていた友人に聞いてみたら、岡倉点心の博物館で面白い顔の絵の催し物をやっているよと教えてくれた。それは海沿いにあり、立派な美術館で、お庭に彼のお墓もある。 そこで綺麗な…
昨夜泊まった和風旅館。なんと女将さんが玄関で三つ指をついて見送ってくれた。これには理由があるがここでは言えない。 伊能忠敬記念館にも行く。日本中測量して歩いて、大変だったろうと思う。軽くするため刀の大小の中身を竹にしたそうだ。 犬吠埼へ。暴…
房総半島の南にある野島崎灯台へ。絵葉書みたい。 道の駅でチーバ君に出会った。 利根川沿いのコスモス園。 千葉県を縦断したら、恐ろしく時間がかかっった。ナビが示すのは酷道。根負けして途中から高速に乗った。 一泊5000円と思えない情緒ある宿。 今も現…
昨夜の隣室お嬢さんは、本当に静かだった。本当は優しい子なのだ。でも夜中に何度も起きてしまった。 朝から近所のランドリーで洗濯。 家守さんにお礼を言って沼津を発つ。 高速を通らず江ノ島や鎌倉や葉山など、神奈川県の海岸沿いを走る。結構時間がかかっ…
行けなくなった家守さんのお友達の代わりに静岡市美術館へ。なんと静岡駅前にあった。 そしてその静岡駅前にまるちゃんとおじいちゃんの次郎長装束のマンホールがあった。清水港魚市場でランチする。三保の松原へ。本当だったら、こんな風に見えているはずだ…
15名の参加。鈴木さんが四人。親戚でもないそうだ。 休憩挟んで、20曲歌った。 こういう会は初めてだそうで、赤とんぼなど小さい頃を思い出して、泣いたと言った方もいた。 満州から引き揚げて来た体験談を話す人もいた。 一緒の時間を過ごせてよかったと思…
愛知県へ。友人と数年ぶりに会う。14歳になる。富田林生まれの可愛い猫に一瞬だけ会う。私を見ると急いで逃げてしまった。 有名なはせべの鰻重。美味しい卵の味のお煎餅もついてくるのだ。 浜名湖はキラキラしていたが、猛烈に暑かった。 宿に着く。外猫のち…
ワーケーションのサブスクの宿ADDressの拠点で、童謡唱歌を歌う会をします。 9月18日(水)沼津市原町「来ないか茶屋」9月26日(木)石巻市ゲストハウスみらい。 いずれも朝10時からです。 お近くにお住まいの方、ご参加下さい。
1977年に北海道の宗谷岬から鹿児島県の佐多岬まで、乗り物を使わず、歩いて旅行したイギリス人がいた。 略歴 アラン・ブース(1946-1992)はブースは生まれてすぐ乳児院に預けられ半年後養子に貰われた。下町で育ち高校で演劇を学んだ。学生時代にレイトンユー…
最寄りの駅からは23分で難波まで着き、近くにコンビニもスーパーもある。うちのどこが田舎なのか。 車で20分以内に、道の駅が5個ある。 ちょっと行くと田んぼや畑がいっぱいある。 農協もある。ネイティブの人々は地車もする。 スーパーの駐車料金が無料。 …
昨日、運転免許試験場の和式トイレのことをブログに書いたが、AIに絵をかかせようと思ったら、これが阿呆すぎた。 プロンプトも貼っておこう。 「昭和の和式トイレ」 「ずらっと8個並ぶ、和式トイレ」 「日本の昔の公衆トイレ。床に埋め込まれた東洋式。」 …
猛暑38度。5年ぶりに免許の更新で光明池へ。 この5年コロナ禍があったので、ネット予約制になっていた。写真の持参も要らない。 さすが令和や、ハイテクや、と感心していたら、3台機械がおいていて、それを係員が早口で手助けして捌いていく。迷路のような視…
明治44年、菊栄は43歳で高知博愛園の初代園母として奉職し、その後37年間心身に傷を負った子どもたちの成長を使命として博愛園で尽力した。 入所した35人の子どもたちの中に、結核を患う14歳の平七がいた。菊栄は平七の世話に心を尽くし、特別な食事療法や心…
1. 岡上菊栄の幼少期と教育への道 岡上菊栄は1867年土佐藩御殿医岡上樹庵の家に生まれたが、幼少期に兄と父を亡くし、母(坂本龍馬の姉・乙女)とも別れ、叔父の家で厳しい環境の中で育った。14歳で自立を決意し、高知で乳母の婦喜と共に暮らし始め、高知英…
「運動せなあかん」と言って、母親と一緒に3つの巨大モールへ行ってきた。セブンパーク天美は初めての訪問だ。お目当ては無印良品で、手頃な価格の炊飯器を見つけて購入した。 次に向かったのはハンズマン松原。今回は初めて2階に上がってみたが、そこには驚…
暑さはずいぶんマシになった。夜中はエアコンつけなくても済む。
私の母方の祖父母の人生は、まさに日本の近代化と経済成長を体現するものである。明治時代に生まれた二人は、想像を絶する貧困の中で幼少期を過ごした。 祖父は8人兄弟の末っ子であり、幼少期に父を亡くし、兄弟の多くは養子に出された。しかし、祖父は意地…