関東大震災から100年。
その時私の祖母たちはどうしていたか、生前聞いたことがある。
父方の祖母は当時20歳。母親と店屋物のきしめんを食べていた。地震の揺れで丼が倒れたという。名古屋に住んでいたので、比較的結構揺れたのかもしれない。
母方の祖母は当時23歳。地震であわてて赤ん坊を抱っこして家の外に出たら、電線が揺れていたのが見えたという。大阪なので、名古屋よりは揺れなかったろう。
向後昇太郎という牧師。壮絶な関東大震災の体験談を教会で聞いた事がある。
家は焼け両親姉弟を失い、噴き上げる旋風の炎で、片目が見えなくなって義眼になったそうだ。
「家族を失い、左眼を失明したが、キリストの救いにあずかり、すべての悲しみは喜びに変わった。」といった内容だった。
ところで、関東大震災で最も多くの人が亡くなった旧陸軍被服廠跡は今都立横網町公園になっている。東京都慰霊堂が建てられていて、中には58,000人の震災犠牲者の遺骨が納められている。この場所に避難してきた住民を火災旋風が襲い、敷地内で約4万人が死亡する大惨事となった。さらに流言蜚語が飛び交って、罪なき朝鮮や中国の人が殺された。
マウイ島の火災が記憶に新しい。この時も流言蜚語がネット上で飛び交った。
100年経とうが、忘れてはいけないと思う。