空の鳥

主に飼い猫+野鳥を撮って、紹介しています。

北海道の被災地

北海道の水害の被災地では、まだ断水で不自由な生活を余儀なくされている家もあるようだ。

大規模な洪水のあった清水町は断水が続いている。

十勝毎日新聞によると、帯広や芽室のコインランドリーや入浴施設は混んでいるそうだ。

洗濯、入浴…水求め町外へ 断水続く 新得・清水|WEB TOKACHI-十勝毎日新聞

清水町のサークルで知り合った人も、断水だが隣町のランドリーや温泉を使っているという事だ。もうひとりは家に井戸があって、それが使えるようだ。

清水シャロン教会のジェラン宣教師は地下室に流れ込んだ水をポンプで排水してもらい、食べ物を料理して被災者に配ったり、帯広の牧師さんたちと近所の泥のかき出しボランティアをしているが、断水が続いてトイレのタンクの水を汲みに行くのが大変だそうだ。

 

何箇所も道路が損壊した日勝峠の向こうの日高町千栄では、町までの国道が寸断され、断水も続いているが、電気は通っていて、水は役場の人が山道で毎日運んでいて、人によっては湧き水から水を工夫して引いてきてお風呂や洗濯に使っているようだ。

また、一人暮らしの高齢者は、解体前の老人施設に住んで、食事の提供もあるようで安心だ。

美しいチロロルピガーデンも、復旧作業が始まったようだ。来年は再びいっぱい花を咲かせて欲しい。

 JRが大変だ。線路の橋脚が流されてぶら下がり、線路も洪水の土砂で埋まっている。復旧には時間とお金がかかるだろうな。(許可済み)

中島 弘志 - 現在のJR北海道の線路です!!涙が出ました!!... | Facebook

「神はわれらの避け所、また力。
苦しむとき、そこにある助け。
それゆえ、われらは恐れない。
たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。」(詩篇46:1-2)

私の好きな賛美歌「神はわがやぐら」はマルチンルターが作詞作曲した曲だが、ここから引用されている。

ソルジェニーツィン

ソルジェニーツィンはロシアの作家で、収容所にいた時の体験を元に優れた本を著し、ノーベル文学賞を受賞。

彼がクリスチャンだとは知らなかった。トルストイはクリスチャンで有名だが。

彼は真面目なソ連国民だったのにスターリンの事を友達の手紙に「ヒゲのオヤジ」と書いただけで反逆罪で8年の懲役刑だ。スターリンの時代1000万人が命を落としたと言う。理不尽だと痛感したろうな。

そんな中で信仰心が深みをおび、優れた文学が生まれたのだな。

「忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:4-5)

 

 

ところで、今日は先日永眠した叔母の誕生日でもし生きていたら83歳になっていた。

彼女の事を「何であっという間に死んだん」と思わない日はない。話したいこと聞きたいことが山ほどある。親友のみならず、ご近所のひと、職場や学校の友達も同じであろう。

彼女の人柄は「いつも機嫌が良い」であった。絶えず感謝していた。何かして貰ったらすごく喜んだ。飴の袋を持参し、隣に座った人に配りまくっていた。晩年はイチゴのタワシを配っていた。

刑事の素質があったので、知らない人でも知り合ったら最後、誘導尋問で個人情報を聞き出していた。なぜ私立探偵を開業しなかったのかと思う。

誰かと友達になるのが達人級に速かった。手紙も書きまくる。親切で「誰かの役に立ちたい」だけを生きがいにしていた。電話もかけまくる。

多くの集まりや組織に参加し、会議も大好きだった。よく防犯訓練に参加し、市長さんをコテで押さえつけてる写真がネットに載っていた事も。

好奇心の塊だった。行ってみたい、やってみたい、見てみたい。叔父が存命中は、あらゆる博覧会を見物するのみならず、火事の野次馬にいたるまで、珍しいもの全て見に行った。

ジェットコースターが大好きだった。孫と遊園地に行って年齢を偽って乗った話はお葬式でも暴露されていた。

思い出を大切にする人だったので、チケットや記念品、誰かにもらったものは消して捨てられなかった。遺族はさぞかしこれからの処理が大変だろう。

 

快読「赤毛のアン」 菱田信彦著

赤毛のアンを当時の文化や歴史に照らし合わせて読み解く本。村岡花子だけではなく他の翻訳者と比べてみている。人種差別やジェンダーに関する海外の文献の紹介も面白かった。

それにしてもなぜ村岡花子は、マシューのお通夜のシーンのダイアナが帰った後のくだりを大幅カットしたのだろう。原作のページが落丁していたか、戦争のドサクサで汚れたか。あの時のマリラのセリフこそドラマのクライマックスと言っても良いのに。

中学1年で初めてこの作品を読んだ時は赤毛のアンと同世代だったので、心からアンに同情して厳格な中年独身女のマリラに憤慨したが、今読んだら今の私の同世代のマリラが主人公かと思うぐらい肩入れして読み、おしゃべりな養女に振り回されるマリラにいたく同情。これも不滅の名著のなせる技だ。

 

快読『赤毛のアン』: こんな「アン」、見たことない! (フィギュール彩)
 

 「いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」(第一ヨハネ4:12)
シニカルな独身女のマニラも頑固なクリスチャンだったけど、アンを育てて自分が子供を愛していることを自覚して、彼女の優しさが顔を出した。

 
最近のくるみ

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昼と夜とでは、目の色が異なる。

 

 

腹心の友たちへ 村岡花子著

赤毛のアンの翻訳者で知られる村岡花子さん(1893-1968)のエッセイ。さすが文章の達人だけあって、面白い。

時代が古いので「これを書くと今だったらやばいんじゃないか。」と思われるページもあるからこそ、時代背景がわかってなお良い。親友の白蓮さんとの友情、ご主人を亡くされて寂しい気持ち、切々と伝わって来て感動する。でも最も心に残ったのは、5歳の一人息子を亡くした時、

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。」(ヨハネ3:16)

の聖書の言葉が真実性をもって迫って来たというくだり。

聖書の中には、飲み込めないことや、不思議なことがいっぱいなのです。けれども自分が最愛の子供を失った時、初めて「ひとり子を与えて惜しまない」というところのー愛ーと言うものの、いかに深いものであるかと言う事の意味が、実感として迫ってきたのは確かでした。

 彼女の最後の原稿は昭和43年大阪府池田市五月丘に住む娘みどりさんの家を訪れた時を綴ったもの。(この時期伯母一家も近所に住んでいた。) 村岡花子さんは10日間楽しくお孫さん達と過ごし、東京に戻って10日目に亡くなった。この原稿の後に書かれてるみどりさんのあとがきも悲しい。

村岡花子エッセイ集 腹心の友たちへ
 

 

 

流された可愛いおウチ

三年前、夢のような可愛い家を借りていた。

北海道清水町の真新しい移住体験住宅である。ペケレベツ川にかかる第九の鳴るアーチ橋のたもとにあった。

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それが台風10号の洪水で流されたことを知った。緑の屋根の家である。

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清らかな水がかつてない雨量で泥流となり、押し寄せた。

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お向かいの家が2軒無くなっている。ただ住人のご無事を祈るばかりだ。

かつて住んでいたっていうだけでショックなのに自分の住んでる家や牛舎や畑が流された人は、どんな気持ちだろう。

汗水流してポット作りと草取りをして収穫を目前としていたビートが流された人も。

被災した方々が、お気の毒でならない。

 

「あなたの大滝のとどろきに、淵が淵を呼び起こし、あなたの波、あなたの大波は、
みな私の上を越えて行きました。」(詩篇42:7)

全てを奪われ、命だけ助かった人はなぜですかと神に尋ねたくなるだろうと思う。

 

千露呂橋の崩落

今年は北海道に次々台風が上陸する異例の年となった。

でも昨日東北に初めて上陸した今回の台風10号は上陸こそしなかったが今までの大水の被害に加え、甚大な洪水の被害をもたらせた。

中でも先週訪れた旧日高町の、千栄(ちさか)に行く千露呂橋の崩落はショックだった。集落は孤立していないだろうか。日勝峠に繋がる国道274号線は通行止め、襟裳岬に近い様似町から広尾町に抜ける天馬街道も、南富良野を通る狩勝峠国道38号線も、旭川から層雲峡と三国峠を抜ける国道39号線も、通行止め。

樹海ロードから帯広までは、いつもなら1時間半ちょっとで行けるが、北海道開発局から来たメールに従うと、迂回路:237号~38号~237号~39号~273号~333号~242号~241号~274号で、8時間20分かかるのだ。

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 鉄道も運休が続いている。

※ いただいた情報によると、日高町日高支所から千栄へは林道を整備して午後から行けるようにしたが、8kmの距離に小一時間かかるそうだ。

千栄の人々は避難所3カ所(こもれび、町民センター、Hoa)に避難し、 炊き出しも行われた。不明者はいない。

※※道東道は9月1日より開通した。当面占冠と芽室の間は無料で通行できる。

 

「洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。」(マタイ24:38-39より)

洪水はたった10分で2階まで冠水する。それまでの日常は、非日常になる。だから備えは必要だなあ。

「雪に生きる」 猪谷六合雄著

図書館の書庫に猪谷六合雄の「雪に生きる」があったので借りる。1980年に発行された岩波少年文庫の本で、今の価格は中古で5万円だ。

大正時代から記された昭和18年までの自叙伝。

スキーゲレンデやジャンプ台を幾つも作り、手作りで住む小屋も12も作って、国後島に6年間も住んでいた経歴を持つ、奇天烈な天才。

国後島に素晴らしい温泉があり、そこにガラス張りの浴槽のついた海の見える小屋(立派な家だ)を建てる。火事で焼けても、また建てる。ベッド、西洋式水洗トイレ付き、温泉付きだ。彼は1935年まで家族4人で6年も住んでいた。羅臼からすぐ近くだが、今は行けない日本の領地に是非行ってみたくなった。根室からエトピリカ号で行けないかな。

著者は明治時代に生まれた人だ。なのに全く色褪せせない、素晴らしい人生だ。

でもこう引越しばかりじゃ、奥さんはついて行くのにご苦労されたろうな。息子の猪谷千春さんも子供の頃手伝わされて大変だったようだが、冬季オリンピック日本初の銀メダリストで、IOC副会長もしてるぐらいだから、著者のスキー熱も実を結んだのではないか。

 

雪に生きる (1980年) (岩波少年文庫)

雪に生きる (1980年) (岩波少年文庫)

 
 最高気温28度

携帯ショップへ。月々のデータ量下げてもらう。よく訓練された人々だった。お見送りまでしてくださった。

買い物や用事を済ませる。9月並みの気温でとても涼しい。台風の影響で北日本は大変である。

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 「忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」(ローマ5:4)

忍耐が洗練された品格をうみ、それが希望に繋がる。オリンピックメダリストもそうだろうな。