フィンランドで最も愛されて来た女流画家。
鉄道員の娘としてヘルシンキで生まれる。3歳の時に階段から落ちて股関節を痛めたため、一生足が不自由で歩く時杖を必要としていた。
普通の小学校には行けなかったが、父親が画材を買い与えて励まし、11歳の時に最年少で フィンランド芸術協会の絵画学校に入学、18歳に奨学金を得てパリに美術留学。
作品「回復期」がパリの万博博覧会で受賞する。彼女の絵は有名な画廊に飾られ、パリのサロンに参加する。
21歳でイギリス人と婚約したが2年後破棄される。
若い頃はヨーロッパ中を旅し美術館で模写、フィンランドに戻って美術学校で教鞭を取る。
絵を描きながら質素な家で母親の介護をする。
そんな中画商のゲスタ・ステンマンによって見出されて、作品は多くの美術館に飾られるようになる。
50歳の時、若い画家 エイナル・ロイターに恋をし、失恋したものの、友情は一生続いた。
1917年フィンランドがロシアから独立、政府から数々の受賞、 財政的安定をもたらしたものの晩年は引きこもりがちになり、1944年戦争がひどくなったのでスウェーデンの温泉ホテルに疎開。
1946年83歳で温泉ホテルザルツヨバーデンで逝去。
伝記映画「魂のまなざし」を観た。映像が美しくて素晴らしい映画だった。