空の鳥

主に飼い猫+野鳥を撮って、紹介しています。

戦時下女性たちは動いた(1914-1918)

 Netflixのドキュメンタリー。第一次世界大戦の間、フランスの男性は徴兵されていないので、女性たちが工場や農場、電車の運転手など代わりに働いた。フランスでは女性の地位がもともと低く、賃金も半分だったそうだ。

戦争が終わって兵士は英雄として凱旋したが、重労働で銃後を支えた女性は解雇され、忘れ去られて行った。この国では女性参政権運動も始まってから30年かかり、1944年にやっと認められた。

びっくりしたのだが日本に参政権が認められたのと1年違いだ。

フランスは男女平等で進んだ国だと思ってきたが、違ったのだ。

 10年前あるパーティーでバークリーの音楽エンジニアリングの教授夫妻と知り合った。奥さんは南フランス出身で、日本は男女の格差が大きいと言う話をしたら、南フランスもそうよ、と言われた。南フランスでは封建的で女性は家庭で主婦しないといけないそうだ。

意外だな。女性を大切にすると思っていた、あのフランスが。

このドキュメンタリーを観て、裏付けられた感じがする。

東田直樹著「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」

こけしさんの紹介で、興味を持ち購入。

他人と会話の出来ない重い自閉症の東田くんが文字盤を使ってお母さんと会話ができるようになり、さらに自分の気持ちを表現できるようになり、この本が13歳の時出版された。25カ国に翻訳されていると言う。すばらしいな。

この本を読むと他の人とコミニケーションが難しい自閉症の患者さんの、今まで知らなかった理由を理解することができる。

なぜ飛び跳ねるのか、なぜ相手の目を見ることができないのか。

ひとりでいることが好きなんでしょ、と言われたり、小さな子供に向かって話すような喋り方をされると傷つくそうだ。

自閉症の人と話すときに、気をつけなければいけないと思った。

 

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)

 

 

 

当事者研究についてのミーティング

当事者研究会についてのミーティングに出かける。

教会の協力が得られ、小グループとして実施される事になっている。

ミーティングには医者も心理士も出席しないが、当事者同士で、問題を研究し合う。

浦河べてるの家のような楽しいミーティングになるかわからないが、わいわい話し合って新しい発見が出来たら良いと思う。

 

ところで大学の心理カウンセラーと心理テストは行かないことになった。学生インターンも同席するらしいし、書類揃えないといけないらしい。融通のきかない教授と喧嘩。

日本は融通がきかないし、気軽にカウンセラー受けられないなんて、遅れてると思う。

「風邪引いてるねん」という息子に注意

最近電話による詐欺事件が増えている。

昨夜うちの近所でも、高齢者ご夫婦に息子を名乗る男から500万円が急に必要になったと電話があった。

「いつもと声がちゃうね。」

と言うと

「風邪引いてるねん。」

と返答。

「そんなお金はすぐ用意できない。300万なら明日朝用意できる。」(スゴイな)

と言うと、

「明日朝電話する。」

と相手は電話を切った。

おかしいと思ったのですぐ息子に電話をしたら、ホンモノの息子が出て、コレは詐欺だから、警察に電話するように、と言った。

今朝、通報した警察から数人警官が来て電話を待ったところ、昨日の男から電話があった。

だが犯人は不審に思ったのか、電話の途中で切ってしまったと言う。

事なきを得て良かった。

 

でもある知り合いの80歳の女性は、50万騙し取られた。

彼女も息子を名乗る男から電話があり、

「いつもと声がちゃうね。」

と彼女の問いに

「風邪引いてるねん。」

と犯人は答えたそうだ。

 

「風邪引いてるねん」と電話してくる息子に要注意!すぐ110番して下さい!

 

理解されなかった大叔母

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私の父は幼い頃に母を亡くし、祖母と独身の叔母に育てられた。祖母は父が11歳の時死去。叔母が育児をした。

私にとって大叔母に当たる彼女は生涯独身だった。世話しないとならない甥や姪がいたからだ。

彼女は割烹着を着て四天王寺のボランティアをしたり、学校の行事を欠かさず出席したり、交際も広く楽しくて愉快な人だった。甥や姪たちの学校の友達を招いてしょっちゅうパーティーをしていた。何組もお見合いをさせ、仲人になった。私の誕生を喜んでくれて、ケーキを買ってうちに来て誕生日を祝ってくれた。膝に乗せて歌ってくれたり、詩を手紙に書いて送ってくれたりした。

だが家庭内では独裁者で、家族を彼女の支配下に置き、配偶者に至るまでコントロールした。

そのためみんな言葉に傷つけられた。

私も子供の頃彼女が苦手だった。

晩年、うちの両親以外、全ての家族と絶交した。

61歳の時、奈良県明日香村の古民家を買って一人暮らしをして、79歳で寂しい生涯を終えた。

私の両親は当時40代だったが、3日おきに食べ物を片道2時間かけて運んで家事や庭仕事をしていた。

まだあの頃は日本に介護保険訪問介護サービスがなかったのである。

大叔母は生前私の両親と養子縁組し、祖母となった。

今になって彼女が気の毒でならない。良かれと思って家族のために努力したことが評価されず、悪く言われ、孤独だった。

そして彼女は私にとって学ぶところの多い、大切な反面教師。

  1. 家族や友人は大切に付き合う。
  2. 何かしてもらったら心から感謝してありがとうと言う。
  3. 人を傷つけてしまったら心から謝る。
  4. 悪口や自慢や同じ話をくどくど繰り返さない。
  5. 気に入らないと言ってヒステリーを起こさない。
  6. 良かれと思っても相手をコントロールしない。
  7. 世間と遮断し、落ち込んで寝込まない。

おばあちゃんありがとう。心がけるわ。

生きてる間やさしくしてあげなくて、ごめんね〜。

*1:写真の左より叔母takenokobaba、大叔母、父