空の鳥

主に飼い猫+野鳥を撮って、紹介しています。

オホーツク海沿いの開拓者の妻たち

図書館の郷土資料室で見つけた本に夢中である。

これはボランティアがおばあちゃん達から聞き取って書き起こした女性史。
100人分以上読んだであろうか、内地(本州以南の日本)とは違う女性の人生である。

戦前を生きてきた日本女性は普通姑で苦労して来ている。
ところが北海道の女性は違う。
開拓農民にとって、姑は子守りという重要な働きをしてくれる有り難い存在。不思議なほど姑の苦労話がない。(ひとりだけ名前を呼ばれず、ヨメ、と呼ばれたと言っている人がいた。)

子どもの数は8人くらいが普通で、多い人は15人。
家にはストーブがなく、囲炉裏を中心にして寝る。子どもはみんな農作業を手伝い、その合間に学校へ行く。学校までの距離は8キロぐらいで、クマと出くわすのを恐れながら通う。

大抵子どもの何人かに先立たれ、つらい思いをしている。夫に先立たれて苦労した人も多い。

夫が浮気をした、という人がひとりもいない。
これも不思議だ。多分、労働が厳し過ぎて、浮気をするチャンスがなかったのだろう。

子どもを産む時、最初の数人は産婆に助けてもらったが、慣れてきたら、残りの子どもはひとりで生んだ、という人も。

驚いとことは、北海道なのに、戦争中食料がなくてみんな困っていた。
漁師の奥さんだけ、魚をお米や野菜と交換したから困らなかったと言っていた。

夫や息子を戦地に送って亡くした人も多い。
大抵、一回は火事で家を焼かれている。火事が多かったのだ。

事業に失敗した経験、バッタの被害、凶作、大変だ。

樺太北方領土満州から引き上げてきた人の話はすごい。
何と言っても壮絶な体験をしているのは満州からの引揚者だ。
目の前で家族全員を殺されたり、飢えや死と直面したり、涙なくして読めない。

以外と思うかもしれないが、樺太北方領土からの帰還者は、ロシア人達に食べものをもらって、子どもは学校に行けたし、抑留と言っても逆らわなければ帰って来られたようだ。

戦争で家を焼かれた大阪や東京の人が開拓農民として来たケースは、本当に気の毒に思った。
貧しさと苦労の極限を経験している。来なければよかったのでは、としか思えないようなケースばかりだ。

ほとんどの女性は、離婚していない。死別や再婚はあるが、たいてい「おじいさん」と添い遂げている。
どの人も子どもや孫達に囲まれて幸せそうで、彼らに関する愚痴は一切ない。多分本が出版されるから、言わなかったのだろう。