1963年の韓国に住んでいた小学校4年生の男の子が書いた日記。
小学校の担任の先生が、彼の日記を読んで号泣。それが新聞に取り上げられ、本に出版された。
母親が出て行った後、お父さんが病気になって働けなくなって家賃が払えず、家を追い出されてヤギ小屋で生活する彼。物乞いやチューインガムを売って生活している。
こんなつらい境遇でいながら、彼の心が清らかなのだ。家族を愛して一生懸命生きている。涙なくして読めない。
普通は貧しければ卑屈になったり犯罪に走ったりするが、彼は恵んでもらったら素直に感謝するし、悪い仲間に誘われても逃げ出した。
この時代の韓国には、まだ貧しくて、食べるものない人がその日暮らしをしている人がいたんだ。
でも学校の友達が弁当を分けてあげたり、近所や知らない人が助けてあげて、親切にしてあげている。いつも励ます学校の先生達も、素晴らしい。彼にチャンスをあげたんだと思う。
この日記を書いた李潤福さんは、日記の出版後お母さんと再会し、いなくなった妹とも再会した。
大人になって会社員になって結婚し、1990年に38歳で肝臓を悪くして亡くなったそうだ。2人の子供がいた。
韓国で三度、日本でも映画化された。