音大の時ハンガリー人の先生チーボアに指揮法を習った。
彼は5歳のときハンガリー動乱に巻き込まれ、母親と逸れてしまった。気づいたら父親とアメリカ行きの船に乗せられ、難民として移住。生き別れとなったお母さんと再会出来たのは、大人になってからだった。
お母さんはハンガリーから出国できず、息子も帰国出来なかった。
神童だった彼はジュリアード音楽院で学び、指揮者として欧米中東で活躍した。
アメリカにおいでよと何度言ってもお母さんはハンガリーから出なかった。
授業中にそんな話を聞かせてくれた。
その先生も2016年に逝去。
アフガニスタンでは20年間駐在していたアメリカ軍が撤退するものだから、逃げようとする人々で大混乱をきたしている。
ハンガリー動乱と一緒だ。
チーボアのようにお母さんとはぐれてしまって会えなくなってしまう子供もいるのじゃないかと思う。
共産党時代のハンガリーとタリバンのアフガニスタン、どちらが暮らすのに厳しいだろう?