大正時代から昭和中期までの大阪の地図をネットで見ている。
順番に見ながら、面白い事に気づいた。
最初の頃は名簿も少なく、電話の取説もある。
会社や商店がほとんど。
ところが昭和になると名簿は毎年増えて来て、個人名もでてきた。
戦争中は中断していて、昭和22年に再開しているが、ページ数は少ない。
空襲で店や会社がたくさん焼けたからだ。
父方母方両方の祖父の名前を見つけた。
片方の祖父は、店が焼けなかったこともあって、戦前から戦後までずっと同じ住所。今も事業は続いている。
ところがもう片方は、終戦まで「会社員」になっている。住所も転々。父が育った家がやっと出てくるのは昭和10年頃から。お店にやっと電話が付いて、祖父が後妻と暮らしていた家は、会社寮になっていた。
手広く事業をやっていた時電話番号がいっぱいあった。が事業を畳んだ時、彼の電話は父の育った家だけに戻っていた。
会社や商店がほとんど。
ところが昭和になると名簿は毎年増えて来て、個人名で借りている人もでてきた。
戦争中は中断していて、昭和22年に再開しているが、名簿は少ない。
空襲で店や会社がたくさん焼けたからだ。
電話帳を見るだけで、どれほどたくさんの経済の損失があったかはっきりわかる。
電話帳を読むと歴史が見えてくるな。