ネット上に上がっていた昭和17年と22年の航空写真を見比べてみた。
戦前の大阪は、工場や学校以外、黒い長屋の屋根がぎっしり連なっている。
私が生まれ育った団地は、擦染会社の工場だったが、戦後は砲弾の穴がいくつも空いているのがわかる。
この辺りは昭和20年6月7日の空襲で1000人以上が犠牲になり、3人かけて荼毘にふされた。その場所が千人塚という記念碑になって、城北公園のそばの淀川の堤防にある。
これは昭和17年の写真。黒く塗りつぶしているのは工場。ここはのちに団地になった。
これは昭和22年の写真。工場の敷地や淀川に砲弾のあとがあいているのがわかる。