福島の朝、ホテルひさごの朝食。
昨日話していた時フロントでは割と無反応だったが、今朝チェックアウトの時、荷物を運んでると別の女性が「足が痛いのでしょう。聞いています。バリアフリーでなくてすみません。」と言いながら、荷物を運んでくれた。報告が行ってたんや。うれしかった。
まず近くのビーチへ。
左に松の木が右に東京電力福島第二原子力発電所が見える。
東京電力廃炉資料館
東京電力廃炉資料館で、海に放出する処理水について学んだ。バスに乗って全国海外からたくさんの人が学びに来ていた。西洋の館のような立派な建物。とてもお金のかかった資料館で、ツアーで見学できる仕組みだ。
洗脳されるか、と思ったがやはり「これだけ頑張ってるんだし外国でも放出してるんだから、いいでしょう?」と主張しているように感じた。
とみおかアーカイブミュージアム
とみおかアーカイブミュージアムが、戦慄だった。
震災当日21mもの津波で多くの被害を受け、家が駅が流され犠牲者が出て体育館で一夜を過ごした町民。
翌日原発がやばいので、すぐ内陸部の川内村に避難するよう言われる。
その後原発の水素爆発があり、川内村の人々すら避難する事に。
5日後ビッグパレットふくしま他に避難。ヨウ素が配られた。
すぐ帰れると思ってきのみきのままつっかけで逃げた人もいた。
近所の人が津波で亡くなり、お葬式も出せずに置いてきた人も。
長い長い避難生活は、震災だけでない人命や財産を奪う大きい被害をもたらした。
財産や住むところを失ってさまよった人々。
戦争の難民と変わらない。
この辺りは、今ではほとんど帰宅可能になったが、廃屋の店舗や空き地が多く、田畑に農作物が植えられている様子もビニールハウスもなく、すすき野になっていた。
津波はパトカーを2人のお巡りさんごと流した。
請戸小学校
浪江町の請戸小学校の遺構にも行った。
幸いにもみんな1.5キロ先の大平山へ逃げて助かった。
教頭先生は最後まで残って、迎えにきた保護者に、子供たちが山に逃げたことを説明した。
津波は2階の半分の高さまで来た。全員助かったのは、保護者を待たずに山へ逃げようと言った教頭先生の機転のおかげだ。
ブックカフェ「フルハウス」
南相馬の小高駅近くにある柳美里さんが経営するブックカフェのフルハウスでランチ。
このパスタは、すごく洗練されたお味で美味しかった。
お店のスタッフに、先生の顎が良くなられたかを尋ねた。
欧米から戻られてから、少し噛めるようになられたそうだ。良かった。
ブックカフェには面白そうな本がいっぱいあって、1日いたかった。
ところで支払いの後マウスピースをつけるため洗面所を借りようとしたら、
「トイレはカフェの外をぐるりと回って裏にあります」
と言われた。
行ってみると「柳」と書いた玄関があり、びっくりして逃げて帰る。
数年前これと同じ行動を、浦河町の佐藤愛子さんの家の前でやった。
高速を多賀城へ。
友人M子さんと多賀城図書館のスタバでお茶し、石巻へ向かう。
石巻へ。
石巻のN坂さんと居酒屋へ。禁煙でないか確認したのに、喫煙OKだったので、別室を用意してもらう。
1時まで彼女のパソコン問題に取り組む。
漁師もされていた彼女は、慣れない事に一生懸命頑張って、えらいと思った。