西暦935年
旧暦1月1日 魚の口吸う土佐の人
引き続き同じ泊まりにいる。
海が荒れていて夜も風が強く、船は海に入れられず飲み物も得られなかった。
サトイモも歯固めの儀式に使うものもなく、このようなものがない国のようだ。
求めることもなく、 ただ押鮎の口をだけ吸う。この吸う人々の口を押鮎は何か思うことがあるだろうか。*1
今日は都のことばかり考えられる。
「九重の門の絹の織り目のようなものはどれほどだろうか」と語り合った。
1月2日
同じ大湊に泊まっている。
講師が物や酒を送ってくれた。
1月3日
同じ場所にいる。
風浪がしばらく止むことを惜しむ気持ちがあるのか、不安だ。
1月4日
風が吹いても出発できない。
昌連が酒や良いものを持ってきてくれたが、このようなものを持ってくる人も少なく、賑やかそうだが、心が落ち着かない感じがする。
1月5日
風浪が止まらず、同じ場所に留まっている。人々は絶えず訪ねてきますが、何も進展がない。
1月6日
昨日と同じ。
1月7日 魚で満腹
になった。
同じ湊に留まっている。
今日は白馬を思い浮かべるが、波の白さしか見えない。その間に、人の家の池と名のある場所から、鯉はなく鮒や川の魚、海の魚などが長櫃に並べて送られてきた。
若菜が今日を知らせてくれた。
その歌は
「茅が生い茂る野辺に寝転んでみると、水のない池に若葉が束ねられているような、こんなにも寂しい気持ちになったことはありません」
というもので、とても風情があった。
この池というのは、良い人が男とともに下りて住んだ場所のことだ。
この長櫃の物は皆に配られたので、人々は満腹になり、船子たちは腹鼓を打ち、海をも驚かせ波を立てるかのようだった。
1月8日
障害があって同じ場所に留まっている。
今宵の月は海に沈む。
これを見て在原業平の
「山の端に逃れて入らずもあらなむ」
という歌を思い出した。もし海辺で詠んだなら
「浪立ちさへて入らずもあらなむ」
と詠んだかもしれない。
今、この歌を思い出し、ある人が詠んだ歌は
「照る月の流るる見れば天の川出ずるみなとは海にありける」
とやったかもしれない。
1月9日 宇多の松原
朝早く大湊から那波の泊*2へ行くために船を漕ぎ出した。
これを見送るために、藤原の時実、橘の季衡、長谷部の行政などが見送りに来てくれた。
これらの人々は志ある者たちで、この海には劣らぬ深い志を持っているのだろう。
彼らと別れ、海を漕ぎ行くうちに、遠くの人々も見えなくなり、船の人々も姿が見えなくなった。
岸にも船にも思うことはあるが、無力感が広がる。
それでも、独り言のように詠んだ歌は「思いやる心は海を渡れども文しなければ知らずやあるらむ」というものだった。
その後、宇多の松原*3を通り過ぎた。
その松の数は幾つか分からず、千年も経っているのだろう。波が寄せてくる枝ごとに鶴が飛び交い、見るのも堪えられないほど美しい光景だった。船人が詠んだ歌は
「見渡すと、松の上の枝々ごとに鶴が住んでいる。松を千代の友と思って暮らしているのだろうか」
と言ったかもしれない。
この歌は場所を見るのに勝らない。
こうして進むうちに、山も海もすべてが暮れ、夜が深くなり、船人の心に従って、男も慣れていないのでとても心細く、女性は船底で泣きながら頭を打ち付けています。こうして船人は船歌を歌い、何とも思わないようだ。
その歌は「春の野原で寝転んで泣いている。私の薄い着物を切り刻んで、山のように積んである野菜を、親は守ってくれるだろうか、姑は食べてくれるだろうか。家に帰ろうかな」といった内容だった。
1月10日
今日は那波の泊に留まっている。
1月11日 羽根
夜明けに船を出して室津*4へ向かう。
皆まだ寝ていたので、海の様子も見えず、ただ月を見て西東を知った。
昼になり、ある場所に着いた。 *5
若い子供がその場所の名前を聞いて、「羽のような場所なのか」と言ったので人々は笑いました。
その時、いた女の子供が歌を詠みました。
「本当に羽のような場所なら、飛ぶように都へも行きたい」
という内容だった。
男も女も早く都へ帰りたい気持ちがあり、この歌が心に残った。
1月12日 釣った鯛が売れない船頭
雨は降らなかった。文時が維茂の船を遅れて来た。
船頭が昨日釣った鯛を金に替えることもできず、苦労していた。
1月13日
朝小雨が降ったが、すぐに止んだ。男女がそれぞれ良い場所に降りて行った。
海を見渡すと、
「雲も皆波のように見える、海士がどれが海かと問うて知るべきだ」
と歌を詠んだ人がいた。
1月14日
朝から雨が降り、同じ場所に留まっています。
1月15日
今日も小豆粥は炊かず、心が残念で日は過ぎていく。
人々は海を眺め、子供が
「立てば立つ、座ればまた座る、吹く風と波とは思いが一致しているのか」
と言った。
1月16日
風浪が止まず、引き続き同じ場所に留まっている。
ある人が波立つのを見て詠んだ歌は
「霜も降らない方だと言うけれど、波の中には雪が降っている」
と言った。
1月17日
曇りが晴れて曉(あかつき)の月夜がとても美しいので、船を出して漕いでいく。
その間に、空も海の底も同じように見える。
「昔の男たちが『竿は波の上の月を穿ち、船は海の中の空を襲う』と言ったのもうなずける」と聞いた。また、ある人が詠んだ歌、
「みな底の月の上より漕ぐ船の竿に触れるのは桂の木であろう」
これを聞いて、別の人が詠んだ、
「影を見ると波の底にある遥かなる空を渡る我が身は寂しい」
こんなことを言っているうちに、夜が徐々に明けてきた時、急に黒い雲が現れ、風も吹きそうなので、船を戻すことにした。
その間に雨が降り出し、とても残念だった。
1月18日
依然として同じ場所に留まっている。
海が荒れているので船を出さない。遠くにも近くにも泊地が見えるが、とても美しい。
しかし辛いので何も考えられない。男たちは気晴らしに中国の詩などを口ずさむが、船を出さず無駄に時を過ごしているため、ある人が詠んだ、
「いそぶりの寄せる磯には年月を分かぬ雪だけが降る」
この歌は、普段歌を詠まない人のようだ。
また別の人が詠んだ、
「風に寄せられる波の磯にはウグイスも春も知らない花だけが咲く」
この歌たちを少し良いと聞いて、船を指揮していた翁が、長い間の苦しい心を慰めるために詠んだ、
「立つ波を雪か花かと吹く風が寄せ続けて人を惑わせるのだ」
この歌を人々が何かと言うと、ある人がまた聞き入って詠んだ。
その歌が三十余字で、皆が読めずに笑った。
歌詠みが大変不機嫌で、結局その歌は模倣できなかった。
書き留めたとしても読みにくかっただろう。
今でさえ言い難いのだから、後にはどうなることか。
1月19日
天気が悪くて船を出さない。
1月20日
昨日と同様に船を出さない。
皆が憂い嘆く。
辛くて不安なので、ただ日の経つ数を数えている。
今日は20日、30日と数えると、どうにか耐えられるかもしれない。とても辛い。夜は眠れない。
1月21日
卯の刻(朝の6時前後)に船を出す。*6
皆の船が出発する。春の海に秋の木の葉が散っているように見えるのは、たまたま願いが叶ったからだろうか。
風も吹かず良い天気で漕いでいく。この間に、遣いが付き従ってくる童が舟歌を歌う。
「まだ国の方が見えるだろうか、父母がいると思うと帰りたい」
この歌を聞きながら漕いでいくと、クロトリという鳥が岩の上に集まっている。その岩の下に白波が寄せている。
船頭が「黒鳥のもとに白き波を寄せる」と言う。
この言葉には特に意味はないが、何かを話しているように聞こえる。人々に合わせて咎められた。
こんなことを言いながら進むと、船頭が波を見て、「国から初めて海賊が襲ってくると言うので、海がまた恐ろしい。頭もすっかり白くなった。78歳か80歳が海にいるものだ」と言った。
「私の髪の雪と磯の白波とどちらが白いだろうか」と言った。*7
1月22日
昨夜の停泊地から別の停泊地に向かって進む。遥かに山が見える。
年九つくらいの童が、年よりも幼く見える。この童は船を漕ぐ間に、山が動いているように見えるのを見て、不思議なことを歌に詠んだ。
「漕いで行く船から見れば、山さえも動いていくが、松は知らないだろうか」
幼い童が詠んだ歌とは思えない。
今日は海が荒れていて、磯に雪が降り、波が花のように咲いている。ある人が詠んだ、
「波とだけ聞いていたが、色を見ると雪と花に見分けがつかない」。