2月6日 澪標
澪標を過ぎ、難波に到着し、河尻に入った。皆が額に手を当てて喜び、その喜びは他に代えがたいものだった。
船酔いしていた淡路島出身の若者は、都が近づいた喜びから、船底から頭をもたげてこう言った。
「早くもと気が滅入っていた難波の芦がそよぐ中、御船が来た」。
意外な人物が言ったので、皆驚いた。
船頭もこの若者を見て、「船酔いしていたとは思えない顔だな」と喜んでいた。
2月7日 船頭の病気
今日は川尻で船を進め、上流へ漕ぎ登るが、川の水が少なくて進むのに苦労した。
船頭の病も重く、旅の疲れから来る病に悩んでいたが、淡路の若者の歌に感動し、都近くに来た喜びから、自分も歌を作った。
「川の水が浅く、船も自分も今日苦しんでいる」。もう一首は、
「早く行こうと思うが、船が進まないのは、水の心が浅いからだろうか」。
これは都に近づいた喜びを詠んだ歌だが、淡路の若者の歌には及ばない。
そのため、言わなくてもよいことを早く言いたいと思いながら夜になり、寝た。
2月8日
川辺に停泊し、鳥養の御牧*1という場所で一夜を過ごす。
夜に船頭の病が再発し、ひどく苦しむ。
ある人が薬を持ってきたが、効果はなく、人々はひそかに「持ってきた薬は効果がない」と言い合っていた。こうした出来事はあちこちで起こった。
今日は節分なので、魚を食べなかった。
2月9日 船を引っ張る
心もとない朝に船を引き続けて進むが、川の水が少なく、船が進まない。
和田の泊りの近くに「あかれのところ」という場所があり、薬を使ったおかげで病が少し回復し、船を引いて進んだ。
渚の院*2という場所を見ながら進む。
その場所は昔を偲ぶと美しいところで、後ろには松の木が立ち並び、庭には梅の花が咲いていた。
皆が言うには、ここは昔から名高い場所で、故惟喬親王が住んでいた所で、在原業平が
「世の中に絶えて桜が咲かないなら、春の心は穏やかであろう」
という歌を詠んだ場所だという。今も風情ある場所で、ある人が
「千年も経た松は残っているが、昔の声の寒さは変わらない」
と詠み、他の人は
「君を恋して世を過ごした宿の梅の花は、昔の香りのままに咲いている」
と詠んでいた。
このように都に近づく喜びを感じながら進んでいった。
旅の途中で子供が生まれた者たちは、船が停まるたびに子供を抱えて降りた。
これを見た昔の母親は、自分の子がいないことに悲しみ、
「かつて子がいた人々が子を抱えて帰るが、自分にはいないのが悲しい」
と泣いた。
父親もこれを聞いてどうしようもなかった。
このような歌や出来事は、唐でも日本でも、思いに耐えられない時にするものだろう。
今夜は宇土野(高槻市鵜殿)という場所に泊まった。
2月10日
何か問題があって進まず。
2月11日 八幡
少し雨が降って止んだ。
船を進め、東の方に山が見えたので人に尋ねると、それは「八幡の宮」(石清水八幡宮)だという。
これを聞いて皆が喜び、山崎の橋が見えた。
喜びは尽きなかった。
相應寺の近くでしばらく船を停めて、色々と相談することがあった。
この寺の岸辺には多くの柳があり、ある人が柳の影が川の底に映るのを見て歌を詠んだ。
「細波が寄せる様子を、青柳の影が糸のように織るかのように見える」。
2月12日
山崎({京都府乙訓郡大山崎町})に泊まった。
2月13日
また山崎に。
2月14日
雨が降った。今日は車を京に取りにやった。
2月15日 京から車が届く
今日、車が戻ってきた。船旅の辛さから、船から人の家に移った。その家の主は喜んで迎えてくれたが、その歓待を見て、何とも言えない気持ちになった。家の人の出入りは特別ではなく、ゆったりとしていた。
2月16日 帰京 荒れ果てた我が家
今日は夕方に京へ向かう予定だったが、急ぎもせずに月が出た。桂川を月明かりの中渡った。
人々は
「この川は飛鳥川ではないが、淵も瀬も変わらない」
と言い、ある人は
「月に映える桂川の影も変わらない」
と詠み、他の人は
「桂川、私の心には流れないが、同じ深さで流れている」と詠んだ。
都に着いた喜びから、歌も多く詠まれた。
夜が更けると、場所もよく見えなくなったが、京に入って喜んだ。
家に着いて門に入ると、月明かりで様子がよく見えた。聞いていた以上に家は荒れており、預けていた人の心も荒れていたようだ。
中垣はあるが、ほとんど一つの家のように荒れていた。
かつては絶えず物を届けていたが、今夜は声を高くして話すこともなく、とても辛い思いだったが、それでも感謝しようとした。
家の池のようにくぼんだところには水が溜まり、松の木もあったが、五、六年の間に千年が過ぎたかのように枝がなくなり、新しい枝が生えていた。
家全体が荒れていたので、「ああ」と皆が嘆いた。
この家で生まれた娘が一緒に帰らなかったことを思うと、どうしようもなく悲しかった。
船人たちも皆、子供を抱えて騒いでいた。
そんな中、耐えきれず、心を知る人に
「生まれて戻らないものを見ながら、この家の小松を見て悲しい」
と歌い、さらに
「見た人が松の千年を見たならば、遠く悲しい別れをしなかっただろう」
と続けて詠んだ。
忘れられない悔しいことが多かったが、すべてを語り尽くすことはできない。
いずれにせよ、早く破いてしまおう。