1883年、エルジことエリザベート・マリー・ペツネックはオーストリアのウイーンのラクセンブルク宮殿でハプスブルク家の皇女として生まれた。父はルドルフ皇太子、母はベルギー王女のステファニー皇太子妃。
祖母は有名なシシーことエリーザベト皇妃。
祖父はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ。
1889年父ルドルフ皇太子は5歳の時に、女と心中。(マイヤーリンク事件)
1898年15歳の時に、祖母エリーザベト皇后が暗殺される。シシーはかなりの宝石とお金をエルジーに遺した。
1900年母がハンガリーのロンヤイ伯爵と再婚。身分違いだったので行き来できず疎遠になる。
17歳の時、初舞踏会で出会ったイケメンの軍人オットー中尉を見そめる。オットーには元々女優の婚約者がいたが、祖父に頼んで別れさせて1902年に18歳で結婚する。身分違いの結婚だったため皇位継承を破棄する。
1911年シェーナウ城を買う。
4人の子供に恵まれたが、オットーは元カノ女と浮気していた。
そのため怒ったエルジは2人がいる寝室に乗り込み、金の拳銃で女を撃ち重傷を負わせ死なせる。
1916年サラエボ事件で皇位継承者の祖父の甥が暗殺され第一次世界大戦が勃発。
1919年にオーストリア貴族廃止法で貴族の称号が廃止される。
1924年ドロドロの離婚劇の末、別居。親権が夫になったので、裁判所命令で警官が子供を取り上げに来た時に、その頃懇意にしていた社会民主党の力を借りて阻止してもらう。その後社会民主党の指導者レオポルト・ペツネックと不倫するようになった。入党し子供も社会主義で育てようとするが、家庭不和の原因となった。
これが赤い皇女といわれるようになった所以。
1929年城を売って終の住処になったウィンディッシュ・グレーツ・ヴィラと呼ばれる別荘に転居。
1939年3男ルドルフが事故死。
1944年パートナー(のち結婚)レオポルトがナチスに逮捕されダッハウ収容所に送られるが1945年奇跡的に生還。
1945年屋敷がオーストリアのフランス占領地帯にあったため個人的な使用のため占領軍のフランスのエミール・ベシュアール将軍に占拠される。
屋敷を追い出されたエルジは母の実家を頼ってベルギーで暮らす。長女ステファニーはベルギーで最初の夫ダルカンタラ伯爵を強制収容所で殺され、2番目の夫カールと再婚していたが、エルジはその人を嫌って自分の家を出禁にした。
ウイーンの屋敷は10年のちに返却され、戻った。
1948年ついにレオポルトペツネックと再婚。
W不倫の末愛する人とやっと結婚できたエルジだったが、子供との関係は良いとは言えなかった。
2人の息子は家を出て、あまり成功しなかった。長男フランツ・ヨーゼフはベルギーの伯爵令嬢と結婚してケニアに移住、次男エルンスト王子は一度離婚して男爵令嬢と再婚してワイン商の代理人になった。
長女ステファニーは、母親から持参金を拒否されたので、娘は母を結婚式に招待しなかった。
1956年2番目の夫レオポルトが死去。
1963年79歳で死去。2番目の夫の隣に埋葬された。墓石には名前も碑文も記されなかった。また、約500ある遺品の宝石や贅沢品や絵画はすべて国に寄贈するという遺言を残した。
最後に住んでいた館。家族の誰にも看取られず、犬3頭がそばにいたが、遺言により獣医によって安楽死された。
親不孝な子供たちは、お宝ひとつももらえず。