庭の監視を怠らない警備員クルミ。
35年前同僚だった友人N、23日間入院して2回首の手術を受け、昨日退院してきた。無事に手術が成功し良くなったそうだ。嬉しい。
庭の監視を怠らない警備員クルミ。
35年前同僚だった友人N、23日間入院して2回首の手術を受け、昨日退院してきた。無事に手術が成功し良くなったそうだ。嬉しい。
歯の治療のためモノ入りだったところへ、修理の出費が重なって、支払いのいくつか大きいもの(国民年金や積立、保険料その他)をリボにしたのが去年のこと。
そして一昨日クレジット会社にたまたま電話したところ、膨らみに膨らんで恐ろしい金額になっていることが発覚。
すぐ返さなきゃと金策を練ったところ、積み立てている組合からなら半年返済で0.18%と低金利の借り入れが出来ることがわかった。
ところが「お母さんやったら利息いらん」と言われたので、 この年になって親から借りるのは嫌だったが、 貸してもらって返しに行く。
母にえらい怒られ、凹む。
イオンの場合リボの金利は年15%である。
サラ金の18%とたいして変わらへん。
腹が立つのは、ウエブサイトどこを探しても残高金額や返済方法が出てこない事だ。やっと見つけた時は小さな字だった。
リボをされている方は、一度クレカを持ってATMへ行って、リボの残高をチェックして下さい。
リボの落とし穴は、返済をせっつかれない代わり、借金だけが膨らむ事だ。
すなわちリボ払いは返済期間が長期化しやすいので、毎月の支払額を一定にする場合、少額で知らないうちに元金が減らず、完済まで時間がかかる事になる。さらに、完済までの期間が長くなるほど、支払う手数料の総額も増え、恐ろしい事態になる。
リボ払いの落とし穴である。
AIに描かせた我が家の様子。なぜ桜が家の中に?
ショックなニュース。
仁川空港の関税検査で中国産 Temu のイヤリング36.7%からカドミウムなどの有害物質が見つかったそうだ。
中国通販サイトで格安アクセサリー取り寄せたら…韓国で「安全基準超える」重金属検出(KOREA WAVE) - Yahoo!ニュース
ドイツの通関の検査でも見つかったらしい。
全部の製品ではないだろうが、泣く泣く処分。
どれも気に入っていた上、人からほめられていたので残念だ。
Temu の電化製品はいくつか買ったが悪いけど安物だ。
やはり買うなら日本製だ。
お金や時間を無駄にすることは、はやめようと思う。
ついでにX(旧Twitter)のアカウントもクローズ。
厚生労働省の調査によると、所得が低い人ほど肥満の割合が高いという結果が出ている。低所得世帯は高所得世帯に比べて、肉や野菜の摂取が少なく、穀物の摂取が多く、栄養バランスが取れていないことがその理由として挙げられている。
アメリカにいた時、金持ちほどカロリー摂取に気をつけているように感じた。いわゆる百貫でぶは平均所得の低いエリアで良く見かける。
アメリカの全人口の58.9%が体重過多もしくは肥満のカテゴリーに入る。人種ごとにみると、アフリカン・アメリカン(黒人)のうち72.6%、ヒスパニック(中南米系)の67.2%、白人の55.7%、それ以外(アジア人、米インディアンを含む)の45.5%の人が、体重オーバーor 肥満である。
先進国のホワイトカラー層では肥満・喫煙は「自己管理できない」ことを表す指標とされているので出世出来ない。
ところで近所に激安スーパーと巨大百均付き量販店が出来た。
行くのは3回目だ。ここは何でも安いが海苔弁が激安価格で売られている。行くたびに買ってしまっている。
でもこれ、カロリーがすごく高いと思う。
私も力士のようになるのだろうか?
コンゴの植民地で先住民の残酷な労働で人口3000万人から900万人まで減らしたベルギー国王。
その犠牲の上に財を成し「ヨーロッパ最悪の宗主」と呼ばれた。
葬儀では棺に唾を吐きかける者まであったという。
ベルギーの公園にある銅像は今でも放火されたり塗料かけられたりされる。王には一人の息子と三人の娘がいた。息子は9歳の時池に落ちて風邪をひいて死んだ。三人の娘もそれぞれが大変な時代を波瀾万丈に生きた。
ハンガリーで最も富裕なオーストリア=ハンガリーの大領主のフィリップと結婚したが、2子儲けたものの喧嘩ばかりでうまく行かず、ルイーズは夫婦喧嘩の腹いせに社交界での不倫スキャンダルで有名になった。
ウイーンのプラーター公園で知り合ったクロアチア人将校マタチッチ伯爵と駆け落ちし、世間を騒がせた。皇帝の命令で夫と伯爵は剣で決闘し、夫は手に少し負傷した。
ゲザ・マタチッチ伯爵
ルイーズは、ヨーロッパを流浪し散財して借金をこしらえた。夫は返済を妻の父に頼んだが断られ、フランツ・ヨセフ皇帝が払った。
ルイーズは皇帝の命令で6年もコスウィグにある民間の精神科施設に収監され、伯爵はサインを偽装した罪で4年服役。釈放された伯爵はメディアを利用してルイーズを解放した。
不幸な事件が起こる。長男が女に結婚を迫られ断ったので無理心中を図られ、硫酸をかけられたのち死亡した。
1906年晴れて夫と離婚できるもルイーズは贅沢したツケで再び債権者から逃げてヨーロッパあちこち移る。秘密に住んでいたパリのホテルで伯爵が死んだ後行き場を失ったルイーズは、ベルギー領事館の助けでドイツのナッソーホテルにメイドと移り、1924年66歳で死去。
ハプスブルク家のルドルフ皇太子に嫁いだステファニーは、一女エルジをもうけたがベルギー嫌いの姑エリーザベトにいびられる。
夫に性病をうつされて不妊に。
さらに追い打ちをかけるように24歳の時、夫が女と心中(マイヤーリンク事件)。
ウイーンの宮殿で居場所を失う。
ところがハンガリー貴族と知り合って再婚。
身分違いとあって実家や嫁ぎ先から除外されたものの、オロスヴァール城で幸せに暮らしていた。
1945年に赤軍が攻めてきてパンノンハルマの大修道院に匿われ、4ヶ月後そこで死去。
姉二人は次々若くして結婚して嫁ぎ先の宮殿に行ってしまったが、クレマンティーヌはなかなか結婚出来なかった。恋人ができても亡くなったり、母に嫌な政略結婚を押し付けられて拒否したり。
28歳で母が亡くなり、フランスのナポレオン公と恋人になったが政治的理由で父に結婚を反対された。
辛抱強く待って、37歳の時父国王レオポルド二世が亡くなり、次の国王が認めてくれたので、ついに38歳で愛する人と結婚出来たのである。住んでいた城
三姉妹のうち彼女だけが子孫を残し、今も末裔がいる。出典Pinterest より
ジャン=クリストフ・ナポレオン(1986-)
一昨日から昨日の日中にかけて、母は熱もなくすこぶる普通に戻っていた。
ところが昨夜食事ができたので呼びに行くと、ベッドの中で悪寒で肩で息している。室温は22℃もあるのに寒いという。食べたくないというのでバナナで薬を飲んでもらう。
湯たんぽ電気毛布ファーの襟巻き冬用のパジャマなど、防寒対策をしてトライアルへ。
24時間営業のこの店、9時半ごろ行くと子供連れ家族や独り者おっちゃんでいっぱいだった。
ハーゲンダッツと果物とホカロンを買って帰る。
母の熱は39度台から38度台に下がっていたが、アイスクリームと八朔をベッドで食べ、さらに夜中には37度台に下がる。
LINEをくれた友達は、10日目に再び発熱したそうだ。4日目に胃腸に来た人も。
コロナは怖いなぁ。油断は大敵だ。
友人Jさんが食べ物を届けてくれた。
1883年、エルジことエリザベート・マリー・ペツネックはオーストリアのウイーンのラクセンブルク宮殿でハプスブルク家の皇女として生まれた。父はルドルフ皇太子、母はベルギー王女のステファニー皇太子妃。
祖母は有名なシシーことエリーザベト皇妃。
祖父はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ。
1889年父ルドルフ皇太子は5歳の時に、女と心中。(マイヤーリンク事件)
1898年15歳の時に、祖母エリーザベト皇后が暗殺される。シシーはかなりの宝石とお金をエルジーに遺した。
1900年母がハンガリーのロンヤイ伯爵と再婚。身分違いだったので行き来できず疎遠になる。
17歳の時、初舞踏会で出会ったイケメンの軍人オットー中尉を見そめる。オットーには元々女優の婚約者がいたが、祖父に頼んで別れさせて1902年に18歳で結婚する。身分違いの結婚だったため皇位継承を破棄する。
1911年シェーナウ城を買う。
4人の子供に恵まれたが、オットーは元カノ女と浮気していた。
そのため怒ったエルジは2人がいる寝室に乗り込み、金の拳銃で女を撃ち重傷を負わせ死なせる。
1916年サラエボ事件で皇位継承者の祖父の甥が暗殺され第一次世界大戦が勃発。
1919年にオーストリア貴族廃止法で貴族の称号が廃止される。
1924年ドロドロの離婚劇の末、別居。親権が夫になったので、裁判所命令で警官が子供を取り上げに来た時に、その頃懇意にしていた社会民主党の力を借りて阻止してもらう。その後社会民主党の指導者レオポルト・ペツネックと不倫するようになった。入党し子供も社会主義で育てようとするが、家庭不和の原因となった。
これが赤い皇女といわれるようになった所以。
1929年城を売って終の住処になったウィンディッシュ・グレーツ・ヴィラと呼ばれる別荘に転居。
1939年3男ルドルフが事故死。
1944年パートナー(のち結婚)レオポルトがナチスに逮捕されダッハウ収容所に送られるが1945年奇跡的に生還。
1945年屋敷がオーストリアのフランス占領地帯にあったため個人的な使用のため占領軍のフランスのエミール・ベシュアール将軍に占拠される。
屋敷を追い出されたエルジは母の実家を頼ってベルギーで暮らす。長女ステファニーはベルギーで最初の夫ダルカンタラ伯爵を強制収容所で殺され、2番目の夫カールと再婚していたが、エルジはその人を嫌って自分の家を出禁にした。
ウイーンの屋敷は10年のちに返却され、戻った。
1948年ついにレオポルトペツネックと再婚。
W不倫の末愛する人とやっと結婚できたエルジだったが、子供との関係は良いとは言えなかった。
2人の息子は家を出て、あまり成功しなかった。長男フランツ・ヨーゼフはベルギーの伯爵令嬢と結婚してケニアに移住、次男エルンスト王子は一度離婚して男爵令嬢と再婚してワイン商の代理人になった。
長女ステファニーは、母親から持参金を拒否されたので、娘は母を結婚式に招待しなかった。
1956年2番目の夫レオポルトが死去。
1963年79歳で死去。2番目の夫の隣に埋葬された。墓石には名前も碑文も記されなかった。また、約500ある遺品の宝石や贅沢品や絵画はすべて国に寄贈するという遺言を残した。
最後に住んでいた館。家族の誰にも看取られず、犬3頭がそばにいたが、遺言により獣医によって安楽死された。
親不孝な子供たちは、お宝ひとつももらえず。