空の鳥

主に飼い猫+野鳥を撮って、紹介しています。

ベルギー王レオポルド2世の三人の王女

 「ヨーロッパ最悪の宗主」レオポルド2世(1835-1909)

コンゴの植民地で先住民の残酷な労働で人口3000万人から900万人まで減らしたベルギー国王。

その犠牲の上に財を成し「ヨーロッパ最悪の宗主」と呼ばれた。

葬儀では棺に唾を吐きかける者まであったという。

ベルギーの公園にある銅像は今でも放火されたり塗料かけられたりされる。f:id:dollyosaka:20240409104209j:image王には一人の息子と三人の娘がいた。息子は9歳の時池に落ちて風邪をひいて死んだ。三人の娘もそれぞれが大変な時代を波瀾万丈に生きた。

 

  • 長女ルイーズ・ド・ベルジック(1858-1924)f:id:dollyosaka:20240410140059j:imagef:id:dollyosaka:20240410133456j:imagef:id:dollyosaka:20240410140141j:imagef:id:dollyosaka:20240410140154j:imagef:id:dollyosaka:20240410133516j:image

ハンガリーで最も富裕なオーストリア=ハンガリーの大領主のフィリップと結婚したが、2子儲けたものの喧嘩ばかりでうまく行かず、ルイーズは夫婦喧嘩の腹いせに社交界での不倫スキャンダルで有名になった。

ウイーンのプラーター公園で知り合ったクロアチア人将校マタチッチ伯爵と駆け落ちし、世間を騒がせた。皇帝の命令で夫と伯爵は剣で決闘し、夫は手に少し負傷した。

ゲザ・マタチッチ伯爵f:id:dollyosaka:20240411092016j:image

ルイーズは、ヨーロッパを流浪し散財して借金をこしらえた。夫は返済を妻の父に頼んだが断られ、フランツ・ヨセフ皇帝が払った。

ルイーズは皇帝の命令で6年もコスウィグにある民間の精神科施設に収監され、伯爵はサインを偽装した罪で4年服役。釈放された伯爵はメディアを利用してルイーズを解放した。f:id:dollyosaka:20240410142240j:image

不幸な事件が起こる。長男が女に結婚を迫られ断ったので無理心中を図られ、硫酸をかけられたのち死亡した。

1906年晴れて夫と離婚できるもルイーズは贅沢したツケで再び債権者から逃げてヨーロッパあちこち移る。秘密に住んでいたパリのホテルで伯爵が死んだ後行き場を失ったルイーズは、ベルギー領事館の助けでドイツのナッソーホテルにメイドと移り、1924年66歳で死去。

f:id:dollyosaka:20240409152657j:imagef:id:dollyosaka:20240410134158j:image

 

  • 次女ステファニー(1864年 - 1945年) オーストリア皇太子ルドルフ妃

    f:id:dollyosaka:20240410140028j:imagef:id:dollyosaka:20240410140004j:imagef:id:dollyosaka:20240410140015j:image

ハプスブルク家のルドルフ皇太子に嫁いだステファニーは、一女エルジをもうけたがベルギー嫌いの姑エリーザベトにいびられる。

夫に性病をうつされて不妊に。

さらに追い打ちをかけるように24歳の時、夫が女と心中(マイヤーリンク事件)。

ウイーンの宮殿で居場所を失う。

ところがハンガリー貴族と知り合って再婚。

身分違いとあって実家や嫁ぎ先から除外されたものの、オロスヴァール城で幸せに暮らしていた。f:id:dollyosaka:20240409102145j:image

1945年に赤軍が攻めてきてパンノンハルマの大修道院に匿われ、4ヶ月後そこで死去。

f:id:dollyosaka:20240409101047j:image

 

  • 三女クレマンティーヌ(1872年 - 1955年) ナポレオン・ヴィクトル・ボナパルト夫人

姉二人は次々若くして結婚して嫁ぎ先の宮殿に行ってしまったが、クレマンティーヌはなかなか結婚出来なかった。恋人ができても亡くなったり、母に嫌な政略結婚を押し付けられて拒否したり。f:id:dollyosaka:20240410133430j:imagef:id:dollyosaka:20240410140520j:image

28歳で母が亡くなり、フランスのナポレオン公と恋人になったが政治的理由で父に結婚を反対された。

辛抱強く待って、37歳の時父国王レオポルド二世が亡くなり、次の国王が認めてくれたので、ついに38歳で愛する人と結婚出来たのである。f:id:dollyosaka:20240410133348j:imagef:id:dollyosaka:20240410133402j:imagef:id:dollyosaka:20240410230602j:imagef:id:dollyosaka:20240410143115j:image住んでいた城f:id:dollyosaka:20240409140044j:image

三姉妹のうち彼女だけが子孫を残し、今も末裔がいる。f:id:dollyosaka:20240410141040j:image出典Pinterest より

ジャン=クリストフ・ナポレオン(1986-)

治ったかと思ったが…

一昨日から昨日の日中にかけて、母は熱もなくすこぶる普通に戻っていた。

ところが昨夜食事ができたので呼びに行くと、ベッドの中で悪寒で肩で息している。室温は22℃もあるのに寒いという。食べたくないというのでバナナで薬を飲んでもらう。

湯たんぽ電気毛布ファーの襟巻き冬用のパジャマなど、防寒対策をしてトライアルへ。

24時間営業のこの店、9時半ごろ行くと子供連れ家族や独り者おっちゃんでいっぱいだった。

ハーゲンダッツと果物とホカロンを買って帰る。

母の熱は39度台から38度台に下がっていたが、アイスクリームと八朔をベッドで食べ、さらに夜中には37度台に下がる。

LINEをくれた友達は、10日目に再び発熱したそうだ。4日目に胃腸に来た人も。

コロナは怖いなぁ。油断は大敵だ。

友人Jさんが食べ物を届けてくれた。

赤い皇女エルジ、シシーの孫

1883年、エルジことエリザベート・マリー・ペツネックはオーストリアのウイーンのラクセンブルク宮殿でハプスブルク家の皇女として生まれた。父はルドルフ皇太子、母はベルギー王女のステファニー皇太子妃。f:id:dollyosaka:20240410141715j:imagef:id:dollyosaka:20240410141728j:imagef:id:dollyosaka:20240410141738j:image

祖母は有名なシシーことエリーザベト皇妃。

祖父はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ。

1889年父ルドルフ皇太子は5歳の時に、女と心中。(マイヤーリンク事件)

1898年15歳の時に、祖母エリーザベト皇后が暗殺される。シシーはかなりの宝石とお金をエルジーに遺した。f:id:dollyosaka:20240406143902j:imagef:id:dollyosaka:20240406145029j:image

1900年母がハンガリーのロンヤイ伯爵と再婚。身分違いだったので行き来できず疎遠になる。

17歳の時、初舞踏会で出会ったイケメンの軍人オットー中尉を見そめる。オットーには元々女優の婚約者がいたが、祖父に頼んで別れさせて1902年に18歳で結婚する。身分違いの結婚だったため皇位継承を破棄する。

f:id:dollyosaka:20240410133839j:imagef:id:dollyosaka:20240410133832j:image

 

1911年シェーナウ城を買う。f:id:dollyosaka:20240410142003j:image

4人の子供に恵まれたが、オットーは元カノ女と浮気していた。

そのため怒ったエルジは2人がいる寝室に乗り込み、金の拳銃で女を撃ち重傷を負わせ死なせる。

1916年サラエボ事件で皇位継承者の祖父の甥が暗殺され第一次世界大戦が勃発。

1919年にオーストリア貴族廃止法で貴族の称号が廃止される。

f:id:dollyosaka:20240410141756j:image

1924年ドロドロの離婚劇の末、別居。親権が夫になったので、裁判所命令で警官が子供を取り上げに来た時に、その頃懇意にしていた社会民主党の力を借りて阻止してもらう。その後社会民主党の指導者レオポルト・ペツネックと不倫するようになった。入党し子供も社会主義で育てようとするが、家庭不和の原因となった。

これが赤い皇女といわれるようになった所以。

1929年城を売って終の住処になったウィンディッシュ・グレーツ・ヴィラと呼ばれる別荘に転居。f:id:dollyosaka:20240410133850j:image

1939年3男ルドルフが事故死。

1944年パートナー(のち結婚)レオポルトがナチスに逮捕されダッハウ収容所に送られるが1945年奇跡的に生還。

1945年屋敷がオーストリアのフランス占領地帯にあったため個人的な使用のため占領軍のフランスのエミール・ベシュアール将軍に占拠される。

屋敷を追い出されたエルジは母の実家を頼ってベルギーで暮らす。長女ステファニーはベルギーで最初の夫ダルカンタラ伯爵を強制収容所で殺され、2番目の夫カールと再婚していたが、エルジはその人を嫌って自分の家を出禁にした。

ウイーンの屋敷は10年のちに返却され、戻った。

1948年ついにレオポルトペツネックと再婚。f:id:dollyosaka:20240410141810j:image

W不倫の末愛する人とやっと結婚できたエルジだったが、子供との関係は良いとは言えなかった。

2人の息子は家を出て、あまり成功しなかった。長男フランツ・ヨーゼフはベルギーの伯爵令嬢と結婚してケニアに移住、次男エルンスト王子は一度離婚して男爵令嬢と再婚してワイン商の代理人になった。

長女ステファニーは、母親から持参金を拒否されたので、娘は母を結婚式に招待しなかった。

1956年2番目の夫レオポルトが死去。

1963年79歳で死去。2番目の夫の隣に埋葬された。墓石には名前も碑文も記されなかった。また、約500ある遺品の宝石や贅沢品や絵画はすべて国に寄贈するという遺言を残した。

f:id:dollyosaka:20240410133901j:imagef:id:dollyosaka:20240406150324j:imagef:id:dollyosaka:20240406145637j:image最後に住んでいた館。家族の誰にも看取られず、犬3頭がそばにいたが、遺言により獣医によって安楽死された。

親不孝な子供たちは、お宝ひとつももらえず。

新しい家を探す時-冷蔵庫と洗濯機と空調

冷蔵庫

冷蔵庫のモーター音は結構うるさい。寝室と同じ部屋にあったら安眠を妨害されるかもしれない。できるだけ別の部屋にあった方が良いと思う。

f:id:dollyosaka:20240405133423j:imagef:id:dollyosaka:20240405133410j:image

洗濯機

どのマンションにも洗濯機の置き場所が付いている。少し古くても、ベランダの隅に浄水蛇口が付いていれば、洗濯機が置ける。

30年以上前のワンルームだと洗濯機の置き場所がない場合があり、コインランドリーに行く必要が出てくる。お金もかかるし、雨の日は混んで使えないことがあるので、できるだけ洗濯機が使える物件をお勧めします。

新しいマンションでは、浴室乾燥がほとんど付いている。でも、もし太陽の光で乾かしたい人は、ぜひ南向きの物件を契約することをお勧めする。東向きだったら朝しか日が当たらないし、西向きだったら夕方猛烈に暑くなる。

空調

タワーマンションに住みたい人は北向きが良いと聞いたことがある。洗濯については関係ないが、夏の冷房代が南向きとはずいぶん違うそうだ。

お母ちゃんコロナやったわ

高熱の母親、知らない間に起き出して、台所へ。

朝ダイニングへ行くとスムージーと紅茶が置いてある。

夜の間にパンも焼けていた。

汗でぐっしょりになった寝巻を洗おうかと言ったら、もう洗ったという。

元気な病人やな。

 

それでもヘロヘロでしんどいと言うので、車で内科クリニックへ。先生が駐車場まで来てくださって、まず隣の車の人、次に母の検査をした。

15分待ってドクターが私の携帯に電話くださった。

「お母ちゃんコロナやったわ。」

薬を貰って帰宅。

「今日公民館行かれへんから、あの子ら(コーラスの友達)乗せて行ったってな」と頼む母。

「ワタシ濃厚接触者やから、まずいんと違う?」と私。

それでも母が友達の1人に、自分はコロナだけど娘が乗せてくれると電話したら電話相手に「いらんいらん」と、強く遠慮されたらしい。

私も感染した時のことを予想し、家から車で5分のところに先週出来た店へ買い出しに出かける。

出迎えてくれたのは、新しい住処を見つけようとしている燕さんだった。

f:id:dollyosaka:20240404131431j:imagef:id:dollyosaka:20240404131606j:image

夕方、友人Kさんが飲み物を玄関に届けて下さった。母の熱が39度を越えたので、助かった。

台湾付近で地震、津波警報。

「夜中に熱が出た」と母。

医者は休みだし、検査キットでコロナの検査したら、陰性だった。

一昨日からしんどいと言っていたので、風邪ではないかと思う。

 

ダスキンの人が来られて、かざせばモップの埃を吸ってくれる機械を置いていった。これを借りた方がモップのリース料が安くなるそうだ。お母さんお大事にと言って帰った。

 

9時前に台湾付近でM7.7の地震があった。沖縄で津波警報。

f:id:dollyosaka:20240403103908j:image沖縄に向かっている飛行機は引き返していた。f:id:dollyosaka:20240403103959j:image沖縄の人々は、高台に逃げているようだ。

沖縄で働いているAに無事を確かめる。

午後、歯医者へ。新築移転したので胡蝶蘭がすごかった。お祝いを言う。f:id:dollyosaka:20240404132733j:image

夜になって、母の熱が38.4度まで上がる。

食事はしっかり取れていたので、大丈夫だろう。

天国へ行って帰ってきた人

ヴァージニア州リンチバーグに天国なんか信じない脳神経外科医エベン・アレキサンダーがいた。

ある朝頭痛で病院に運ばれた。髄膜炎と診断され7日間昏睡状態だった。

担当医はまず助からないし、助かっても一生脳は損傷受けるでしょうと宣言した。

ところがこの人は生還した。

そして7日間天国に行っていたと語った。

彼は天国で美人の天使が出迎えて、

「あなたは何も恐れなくていい。愛されているし、大切にされている。」

とメッセージを伝えた。この人は会った事のない女性だった。

天国は、美しい光の谷で神様もいた。

エベンは、子供の頃養子にもらわれてきた過去がある。実の両親の間には存在すら知らなかったも妹がいて、その人は数年前に亡くなっていたことを知った。そして、その女性の写真を見たら、まさしく天国でエヴァンを出迎えてくれた天使だった。

ニュース映像に字幕つけたので、見てください。(著作権チェック済み)

そんなわけがないと多くの医者はいうが、エヴァンは臨死体験を本に書いて200万部売った。

彼と家族はこの事が起きた後、信仰深くなった。

例え信心がなくてこの世を去っても、愛する家族が出迎えてくれるし、神様にも会えるんだなぁ。