明治21年(1888年)から40年間宣教師として日本に滞在し、貢献したピアソン夫妻の伝記を読んでいる。(池田晶信編著、ピアソン会発行)
まだ鉄道が滝川までしかなかったとき、旭川まで馬で行った。またオホーツクの街々へ伝道旅行に出かけたときは、小樽から船で枝幸へ回り、そこから順番に南下した。
北見にピアソン夫妻の住んでいた家がピアソン記念館として残されている。設計は近江八幡に住んでいたヴォーリス氏によるもの、スイスの山小屋風だそうだ。
夫妻はアメリカに引き上げる時、日本の不動産をすべて捧げて行った。さらに聖書を印刷するため自分たちの生活を切り詰め、いつも貧しい身なりだったと言う。
これほどひどい目に遭いながら、日本での40年間は楽しかった、と回顧録を残されている。