熊本グリーンホテルをチェックアウトし、市電で新町のパーキングへ。
3時間半かけて大分県中津市へ。
道の駅の手作り弁当でお昼。
途中邪馬渓がきれいだな、福沢諭吉も知っていたのかなと横目で見ながら考えていたら、なんと彼は当然知っていただけではなく、自然保護のためそこの競秀峰を買い取ったそうだ。
この家は福沢諭吉が子供時代を過ごした家。正確にはお母さんの実家である。
5℃と寒かったが桜は咲き始めていた。
ちょうどお雛様が飾られていた。
感動したのは長男を病気で亡くし、さらに大阪に向かう次男の論吉を送り出した時の母の言葉。
「兄が死んだけれども死んだものは仕方がない、
お前もまた他所に出て死ぬかも知れぬが
死に生きの事は一切言ふことなし
どこへでも出て行きなさい」
『福翁自伝』
(明治三十五年出版時事新報社)
彼女は江戸時代の武士の母。長男を亡くし次男まで家を出る辛いことがあっても、キッパリ諦めていさぎよいなぁ。